自分よりランクが上の人に敬語を使う理由を歴史から考える!

学校では先生、職場では上司に敬語を使うのは当然のマナーです。なぜ、自分よりランクが上の人に敬語を使うのでしょうか? 歴史と一緒に考えてみましょう。


身分のある人、ない人

「江戸時代は徳川幕府の時代で、京都にあった天皇の朝廷とは関係がないはずだ」と思う人もいるかもしれません。でも、幕府で一番えらい将軍は、正式には、「征夷大将軍」という、朝廷に仕える国家公務員です。

「武士」という「身分のある人」の中にも、「朝廷から官位をもらっている武士」と「もらっていない武士」のランク分けがあって、「官位をもらっている武士」は、もっと細かいランクづけをされます。

「身分のある人」と「身分のない人」にまず大きく分けて、「身分のある人」をもっと細かくランク分けするというのが、日本の身分制度です。「国家が人のランクづけをする」という身分制度は、今の日本にはもうなくなってしまいましたが、今から1400年前に始まったこの考え方だけは、まだ続いています。

学歴も身分制度のなごり

たとえば、「学歴」を問題にする人は、今でもいます。そういう人にとっては、「大学を出ているか、出ていないか」が、とても大きな問題です。「大学を出た人」が「身分のある人」で、「大学を出ていない人」が「身分のない人」だと、そんなふうに考えているのです。

そして、「大学を出た」ということになると、「どこの大学を出たのか?」と、大学の偏差値を問題にします。「日本人は、「身分のある人」と「身分のない人」に分かれて、「身分のある人」の中には細かいランクづけがある」という考え方は、今でもまだそのようにして生きているのです。

大学を出ていない人は、大学を出た人に対して、尊敬の敬語や謙譲の敬語を使わなければならない」というバカげたことを言う人は、さすがにもういないでしょう。でも、昔の「身分のない人」は、「身分のある人」に対して、尊敬や謙譲の敬語を使わなければなりませんでした。

身分のある人には敬語を使う

「身分のある人」は、自分の所属する「身分のあるえらい人たちの世界」の中で、そこにある「人のランクづけ」に応じて、尊敬や謙譲の敬語を複雑に使いわけなければならなかったのです。

たとえば、あなたが「五位」のランクの人だったとします。そのあなたが、自分よりずっと身分が上の「一位」の人のお屋敷に行ったとします。この時あなたは、「行く」ではなく、謙譲の「参る」を使わなければなりません。この「参る」は、「神社やお寺にお参りする」の「参る」と同じです。

神社やお寺なら、「神様や仏様をバカにすると罰が当たる」などと言われてしまいます。「参る」という言葉を使わなければならない「えらい人」も、これと同じです。自分からへりくだって、「参る」という謙譲の敬語を使わないと、罰が当たります。昔の人は、そんな感覚で、尊敬や謙譲の敬語を使っていたのです。

「五位」のランクをもらっているあなただって、あなたより下のランクの人や「身分のない人」からすれば、「あの人のお屋敷へ行く時には、「参る」という言葉を使わないと罰が当たる」と思われるような、かなり「えらい人」です。でも、「一位」の人は、そんなあなたよりもずっとずっとえらいのです。

あなたは、その「一位」の人のお屋敷にいます。そうするとそこに、あなたよりえらい「三位」の人がやって来ます。それを見たあなたは、三位の人が「参られた」と思います。

「来た」ではありません。「おいでになった」でも、「いらっしゃった」でもなくて、「参られた」と思わなければなりません。ひとりごとをつぶやくのにだって、敬語を使わなければならないのです。そして、三位の人がやって来たことを、そのお屋敷の主人に伝えるのだったら、「参られました」と言わなければなりません。

「参る」は謙譲の動詞です。一位の人は三位の人よりえらいんですから、三位の人が一位の人の家に行くんだったら、「参る」という言葉を使わなければなりません。当人だけではなくて、それを見た他人も、「参る」という言葉を使います。寺や神社に行くことは、だれにとっても「お参り」ですから、それと同じです。

「お参りする」というのは、ただ「行く」だけです。「拝む」と「お参りする」は違います。だから、寺や神社に「拝みに行くこと」を、「参拝する」と言うのです。

三位の人が一位の人の家に来るのは、「参る」ですが、それを見ているあなたは、三位よりランクが下の「五位」です。だからあなたは、自分が見ている三位の人のすることを、「尊敬の敬語」で表現しなければなりません。「参られた」の「れ」がそれです。「れ」は、「尊敬の助動詞」です。

あなたがそれを見て、ひとりごとを言っているか、まわりの友だちや「目下の人」に言うんだったら、「参られた」だけでかまいません。でも、それを屋敷の主人の一位の人や、その他の「目上の人」に言うんだったら、「丁寧の敬語」も必要です。だから、「参られました」です。

「参られました」という短い言葉の中に、「謙譲の敬語」と「尊敬の敬語」と「丁寧の敬語」が一緒になっています。丁寧の敬語は、尊敬の敬語や謙譲の敬語と一緒に使われることが多いです。

でもここでは、「謙譲の敬語」と「尊敬の敬語」が一緒に使われています。この「参られた」という言い方は、じつは、「やって来やがりになられた」くらいの、へんな言い方なんです。でも、そう言わないと、けんかになります。

一位の人のお屋敷にいる五位の人が、三位の人がやって来るのを見て、「三位の彼がお屋敷に参る」なんて言ってはいけないのです。そんなことを言うと、三位の人は怒ります。

へたをすると罰せられるかもしれません。なにしろ、「人のランク」は国家が決めたものです。「ランクが上の人に敬語を使わない」ということは、国家が決めた規則を破るのと同じのため罰則の対象になってしまうのです。

次は、「敬語さらに複雑になった理由」を紹介します。

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「敬語が複雑になった歴史的理由」

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参考本

「ちゃんと話すための敬語の本(橋本治)」

    
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