正しい敬語を使うとおかしな言葉になる? 適当に使うのが現代の敬語!

敬語は、「昔の言葉」です。だから、古文の中には、「尊敬の敬語」とか「謙譲の敬語」とか「丁寧の敬語」という区別があります。現代語では、古文よりも敬語の区別があいまいになっています。あいまいでもかまわないのは、敬語が「昔の言葉」だからです。敬語は、正しく使うと、へんなことになってしまいます。それは敬語が、「昔の言葉」だからです。


正しく使うと変な敬語

もし、あなたが職員室に呼ばれたとして、そこで先生に、「参りました」と言いますか? 言って、先生にほめられますか? よっぽど礼儀や敬語にうるさい特殊な学校なら、「よし」といわれるかもしれませんが、普通の学校の職員室で「参りました」なんて言ったら、先生にへんな顔をされてしまいます。

では、あなたが職員室に呼ばれて、「参りました」よりももっとちゃんとした敬語を使って、「参上いたしました」と言ったら、ほめられるでしょうか?

「参りました」は、「謙譲の敬語+丁寧の敬語」ですが、「参上いたしました」の「いたす」は、「する」の謙譲語なのです。だから、「参上いたしました」は、「謙譲の敬語+謙譲の敬語+丁寧の敬語」になります。「謙譲の敬語」が一つ多くなります。

どうしてそういうことになるのかと言うと、「参りました」の「参る」が動詞であるのに対して、「参上」が名詞だからです。これを「参る」と同じように使うためには、「する」という動詞をつけなければなりません。つまり、「参上する」です。

しかし、日本の敬語には、「敬語になりそうなところは全部敬語にしてしまう」という傾向があります。だから、「する」という言葉にさえも、謙譲表現があって、それが、「いたす」なのです。

「参上する」は、「謙譲の敬語」で、これに「丁寧の敬語」がくっつくと、「参上します」になりますが、この「し」の部分にも「謙譲の敬語」を使うと、「参上いたします」になります。

「えらい人のところに行く自分は、「参上する」という謙譲の敬語を使わなくちゃならない。そんな自分だったら、もうひとつへりくだって、「参上いたす」って言わなくちゃいけないんじゃないか?」と思うと、「謙譲の敬語+謙譲の敬語+丁寧の敬語」の「参上いたしました」です。この敬語も、間違ってはいません。相手を「えらい人」だと思って、自分のほうを2ランクも下げているんです。

でも、先生に呼ばれて職員室に行って、「参上いたしました」なんて言ったら、いくら礼儀や敬語にうるさい学校の先生でも、へんな顔をするんじゃないでしょうか?

「する」の謙譲表現である「いたす」を、もっと本格的にちゃんとした「謙譲の敬語」にすると、「仕る」になります。「仕る」とも読みます。「参上いたしました」は、「参上仕りました」や「参上仕りました」です。

「ました」の部分を、もっと本格的に「丁寧」にすると、「参上仕りましてございます」になります。さらにこれを、「自分から勝手にやって来たんじゃなくて、「先生に呼ばれたから来ました」というふうにちゃんと説明しないと、忙しい先生に対して失礼になるかな」と思って、もっと本格的にしてしまうと、「お召しによりまして参上仕りましてございます」になります。

「えらい人がえらくないやつを呼ぶ」が、「召す」です。「えらい人が呼ぶ」という意味なので、その動作にも尊敬の「お」をくっつけると、「お召し」です。

こうして「お召しによりまして参上仕りましてございます」という長ったらしい日本語ができあがります。

「お召しによりまして参上仕りましてございます」は、まちがった日本語じゃありません。でも、あなたがいたずらをやらかして、「後でちょっと職員室に来い」と言われて、「ああ、自分はいけないことをしてしまったな」と反省しながら、すべてにへりくだって、職員室で、「お召しによりまして参上仕りましてございます」と言ったら、ほめられるでしょうか?

きっと、「ふざけるんじゃない!」と怒られるでしょう。もしもそこが、とっても礼儀や敬語にやかましい学校の職員室で、「お召しによりまして参上仕りましてございます」と言っても怒られないとしても、あなたのことを呼び出した先生が、あなたより背が低かった場合には、怒られます。なぜかと言うと、「謙譲の敬語」を使う立場の人間は、相手よりも高い所からものを言ってはいけないからです。

だからあなたは、職員室の床に座って、そこに手をついて、「お召しによりまして参上仕りましてございます」と言わなければなりません。いくら礼儀にうるさくて、敬語にやかましい学校だって、生徒にこんなことをやられたら、「時代劇じゃないんだからやめろ」と言うでしょう。それをやってほめられたら、ほめる先生のほうが異常です。

要するに、敬語とは、古い時代の言葉です。だから、敬語をちゃんと正しく使いすぎると、時代劇になってしまうのです。「正しく使いすぎると時代劇になる。だから、いいかげんにテキトーに使え」というのが、現代の敬語なんです。「いいかげんであるほうが正しい」というのはとてもへんですが、現代の敬語はそういうもので、だからこそ、敬語はとてもむずかしいのです。

敬語って面白いですね。

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「敬語が複雑になった歴史的理由」

参考本

「ちゃんと話すための敬語の本(橋本治)」

参考リンク

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