「謙譲語Ⅰ」と「謙譲語Ⅱ」との違い

自分側をへりくだることによって相手側を高めるのが「謙譲語」です。敬語の指針により、謙譲語の「向かう先」か「相手」を高めるかの違いで「謙譲語Ⅰ」と「謙譲語Ⅱ」に分けられました。


「謙譲語Ⅰ」と「謙譲語Ⅱ」の違い

謙譲語Ⅰは向かう先に対する敬語、謙譲語Ⅱは相手に対する敬語です。謙譲語Ⅰと謙譲語Ⅱは、類似している点もあるため、どちらも「謙譲語」と呼ばれてきましたが、「向かう先」と「相手」に対する敬語である点が違いです。

立てるのにふさわしい向かう先があれば謙譲語Ⅰ

謙譲語Ⅰの場合、「先生のところに伺います」とは言えますが、「弟のところに伺います」は不自然です。これは、「先生」が「立てるのにふさわしい」対象となるのに対し、「弟」は「立てるのにふさわしい」対象とはならないためです。謙譲語Ⅰは、向かう先に対する敬語であるため、このように立てるのにふさわしい向かう先がある場合に限って使います。

一方、謙譲語Ⅱの場合は、例えば「先生のところに参ります」とも言えるし、「弟のところに参ります」とも言えます。謙譲語Ⅱは、相手に対する敬語であるため、このように、立てるのにふさわしい向かう先があってもなくても使うことができます。「申し上げる」(謙譲語Ⅰ)と「申す」(謙譲語Ⅱ)を例に考えてみましょう。

「社長に●●を、申し上げます」

この言葉の先には、敬うべき社長がいますね。一方、「謙譲語Ⅱ」に分類される「申す」は、自分の行為だけが強調され、誰か「向かう先」がありません。

謙譲語Ⅰと謙譲語Ⅱどちらも使える場合

ふさわしい向かう先がある場合は、謙譲語Ⅰを使って「先生のところに伺います」のように述べることも、謙譲語Ⅱを使って「先生のところに参ります」のように述べることもできます。ただし、謙譲語Ⅰが「先生」に対する敬語であるのに対して、謙譲語Ⅱは話や文章の相手に対する敬語です。

つまり、「先生」以外の人に対してこれらの文を言う場合、「先生のところに参ります」は、「先生」ではなく、相手に対する敬語として働くことになります。なお、「先生」に対してこれらの文を言う場合には、「先生」=「相手」という関係が成立しているので、結果として、どちらの文も同じように働くことになります。

このように、行為の向かう先と、話や文章の相手が一致する場合に限っては、謙譲語Ⅰと謙譲語Ⅱはどちらも同じように使うことができます。ただし、向かう先と相手とが一致しない場合は、謙譲語Ⅰと謙譲語Ⅱの働きの違いに注意して使いましょう。また、謙譲語Ⅰと謙譲語Ⅱのどちらも使える場合は、謙譲語Ⅰを使う場合が多いです。

「ます」との関係についての違い

謙譲語Ⅰは、「ます」がなくても使うこともできます。「明日先生のところに伺う」のように「先生」以外の人に述べることがあります。

一方、謙譲語Ⅱは、一般的に「ます」と一緒に使います。「明日先生のところに参る」と述べるのは不自然です。

謙譲語Ⅰと謙譲語Ⅱの違いは、謙譲語Ⅰは向かう先(相手側または第三者)に対する敬語、謙譲語Ⅱは相手に対する敬語であるということです。このような違いがあるため、両者を区別して、敬語の指針は「謙譲語Ⅰ」「謙譲語Ⅱ」を分けました。

「お」「ご」が付くのは謙譲語Ⅰ

謙譲語Ⅰは「社長へのお手紙」といったように、自分側の物事に「お」「ご」をつけますが、謙譲語Ⅱは「お」「ご」をつけずに、「小」「弊」などをつけます。

謙譲語Ⅰと謙譲語Ⅱ両方の性質を持つ「お(ご)〜いたす」

謙譲語Ⅰと謙譲語Ⅱは、異なる敬語ですが、両方の性質を持つ「お(ご)〜いたす」があります。「駅で先生をお待ちいたします」は、「駅で先生を待ちます」と同じ内容ですが、「待つ」の代わりに「お待ちいたす」が使われています。

これは、「お待ちする」の「する」をさらに「いたす」に代えたものであり、「お待ちする」(謙譲語Ⅰ)と「いたす」(謙譲語Ⅱ)の両方が使われていることになります。この場合、「お待ちする」の働きにより、「待つ」の向かう先である「先生」を立てるとともに、「いたす」の働きにより、話や文章の相手(「先生」である場合も、他の人物である場合もある。)に対して丁重に伝えることにもなります。

つまり、「お(ご)〜いたす」は、「自分側から相手側又は第三者に向かう行為について、その向かう先の人物を立てるとともに、話や文章の相手に対して丁重に述べる」という働きを持つ、「謙譲語Ⅰ」かつ「謙譲語Ⅱ」です。

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