本能と理性の先にひらめきがある

人間には、「本能心」と「理性心」があるといいます。ひらめきは、この2つの心の先にあると言われています。


■本能心を抑える

本能心とは、闘争心、食欲、性欲、嫉妬など、自分の肉体や生命を守ろうとする心のことです。私たちは、この本能心を判断基準にして、ものごとを決めていく場合が多いのです。しかし、これでは動物と大差なく、また判断を誤ることになります。本能心を抑えていくことが必要です。本能心を抑えていくと、心の中に空間が生じ、そこにものごとを論理的に推理推論していく理性心が生じます。この理性心が、その人の心において、どれくらいの部分を占めているかということが重要なのです。

しかし本能心の抑制は、非常に難しいことです、本能心なくして人間は生きられないからです。ですから、本能心をなくせと言うのではありません。本能心が過剰であってはならない、最小限に抑える努力が必要だということなのです。

さて、本能心を抑えるための一番良い方法は、都合のよい欲望の心が出てきたならば、「勝手なことを思うな」と自分に言い聞かせ続けることです。この本能心を打ち消す習慣が、理性心をなくし、正しい判断を生むのです。

■意識の焦点を絞り込む

「理性心」とは、ものを推理し判断する心です。この理性心を使うためには、太陽の光をレンズで集めるように焦点を絞り込むことが必要です。どんなことにも、どんなときにも常に真剣に気を入れて考えること、それを有意注意といいます。これに反して、音がしたから振り向くといった、意識しない場合を無意注意といいます。

人間には習慣性がありますから、何年もこの有意注意を続けていますと、レーザーみたいに焦点が絞られ、問題を見た瞬間に理性心が働いて核心をつけるわけです。

しかし、この理性心よりは、はるかに超越した正確さを持つ「霊性心」があります。何らの推理推測を行うこともなく瞬間的に生ずる、迅速かつ正確な判断のことです。世の偉人たちの成果は、この霊性心が先天的に才能なり技術に現われたものだともいわれています。

私たちも苦境の渦中で、天の啓示とも思えるひらめきを感じることがあります。これを霊性心と呼ぶとするならば、それは仕事に夢中になり、苦境に真正面から立ち向かい、「人間として何が正しいのか」を常に問い、実践していく中で得られるものといえるのではないでしょうか。

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