テインセイン緬甸オバマ米大統領会談にみるミャンマーの課題

2013年5月20日、ミャンマーのテインセイン大統領がオバマ米大統領とホワイトハウスで会談します。2010年11月に大統領に選出されたテインセイン氏は、15年の長きに及んだアウンサン・スーチー現国民民主連盟(NLD)議長の自宅軟禁生活を解きました。2015年に行われるミャンマー大統領選に向け、テインセイン、スーチー両氏が向き合うミャンマーの内政課題とは。また、米国始め、国際社会の向ける外交課題とはなにかを探ってみましょう。


反イスラム暴動の横行、カチンなど少数民族紛争解決が命題

2013年5月の第一週早々、反イスラム暴動が北ラングーンで勃発しました。1人が死亡し、12の家屋が倒壊しています。それは40人以上ものミャンマーの人々が亡くなった国の中心部で4月に起きた暴動に追従するものです。また戦いはカチン民族の謀反でも起こっています。テインセイン政権にとってはこの紛争を解決することが命題です。また、スーチーNLD議長の課題として、「(これまでの圧政に苦しめられてきた)カチンとラカインの少数民族のために強い言葉を発しておらず、軍に対しても好意的であることが反発を招く」とフィナンシャルタイムスのコラムニスト、デイヴィッド・ピリングは指摘しています。

政治囚への人権侵害で米、欧州が今なお緩めぬ経済制裁

テインセイン大統領は就任以来、これまでの独裁軍事政権によって囚われた数多くの政治囚を解放し、検閲を緩めてきました。しかし、先月、欧州連合はミャンマーに対し、最後の非軍事的制裁を加えました。米国は既に貿易と投資の面で経済制裁を科しています。毎年の制裁命令を拡張させる主因として考えられるのは、いまだ多くの政治囚が拘留を続けられる人権侵害がまかり通っていることに、国際社会の厳しい目が向けられているからです。北朝鮮問題と比較すれば現在の米国にとっては小事かもしれません。しかし、かつて北のように国際社会がいくら非難しても人権侵害をやめようとしなかったミャンマーをオバマ氏は旧ビルマとし、あえて今「ミャンマー」という呼称を用いました。これは1989年に「ビルマ」から「ミャンマー」に呼称が変わった当事国を、今なお公式に「ビルマ」と呼ぶ既存の米国の政策立案者からすれば画期的な変化です。「ミャンマー」という新しい国に敬意を込めてテインセイン緬甸大統領にオバマ米大統領が会談することは歴史的な日となるのです。

2015年の大統領選でスーチー氏選出には75%の議席必要

2015年にミャンマーで行われる大統領選に向け、アウンサン・スーチー氏も精力的に政治活動を展開しています。スーチー氏は先月訪日しました。2012年に放映されたリュック・ベッソン監督作「the Lady アウンサン・スーチー 引き裂かれた愛」の中で、スーチー氏の軟禁中、数回の往復とコンタクトだけで献身的に国外で支え続け、癌で亡くなったスーチー氏の夫のマイケル・アリス博士の深く、大きな愛が描かれています。しかし、今なお引き継がれたミャンマーの悪しき憲法の中に、「外国人と結婚した者は大統領にはなれない」という条文が定められています。テインセイン氏はこのことについて言及し、「スーチー氏とは共に闘ってきたし、彼女が支持されれば大統領になることも容認するだろう。しかし、憲法がある限り私一人の力では変えられず、軍部と議会の協力が必要だ」と憲法改正に75%以上の議員票の必要性を説いているのです。

いかがでしたか。ミャンマーと言えば、「ノーベル平和賞受賞者のアウンサン・スーチー」と彼女一人を注目しがち。しかし、彼女自身は「人々が私のことを重要人物だと思っていることに、今でも驚きます」と語り、「聖人とは、試し続ける罪人のことです」とも述べています。ミャンマーというアジアの小さな国内で今なお拘留される同志たちに今、なにができるのか。その目を世界にも向けること。彼女やガンジー、マンデラと志を同じくして非暴力主義を掲げ、平和民主国家を目指してきた活動家たちは世界中を飛び回っています。「共に闘ってきた」と語る元将軍のテインセイン大統領と、オバマ米大統領の歴史的な会談を目撃しましょう。

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