プリクラの歴史

プリント倶楽部は90年代に大ブームとなった写真シールです。現在もゲームセンターの人気コンテンツです。


歴史は95年

プリント倶楽部は「プリクラ」の愛称で知られます。多くのメーカーから発売されましたが、厳密にいう「プリクラ」はアトラスから、95年7月に発売されたものです。もっと昔からあるように思えるのですが、実は意外にも初登場は95年だったのです。その背景にはデジタル技術の進歩があげられるでしょう。

加工が自由

プリクラが人気となったのは、写真にさまざまな加工や文字を入れられるという要素でしょう。さらに文字はペンタブレットで手書きで書けたり、ポップなアイコンをデコレートできたりといった遊びの要素が人気に火をつけたのかもしれません。さらに、プリクラは写真機といってもデジタルカメラで撮影しているので何度も撮り直しが可能でした。さらに複数のポーズをつけての撮影もできました。こうした、要素がプリクラの人気に火をつけたといえるのかもしれません。

みんなで分ける

さらにプリクラは、一回につき300円から400円しました。何人かで撮ったあとに、写真を分けるということも行われていました。プリクラ機の横には、切り分け用のはさみが用意されていたものです。現在では、スマートフォンで自撮りをする人たちが多いですが、そうした自撮り文化を先取りしていたものがプリクラであったといえるのかもしれません。

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