椎名林檎歌舞伎町住んでない?

椎名林檎というアーティストがいます。1998年にシングル「幸福論」でデビューしたのち、セカンドシングル「歌舞伎町の女王」で話題となります。この時、彼女には新宿系という呼び名がつけられます。これは音楽の流行としてあった渋谷系に対抗して便宜的に付けられたものです。渋谷系はフリッパーズギターやピチカート・ファイブなど複数のアーティストを総称する言葉であったのに対して、新宿系は椎名林檎ひとりに付けられた名称です。デビュー当時から、椎名林檎は物語性をまとっていました。いわく幼少期に大きな病気をしており背中に大きな手術痕がある。それは羽をもがれた天使のようである。福岡から上京してきた。それは一昔前の立身出世の物語とも重なるものです。


水商売のイメージ

さらに「歌舞伎町の女王」にあるのは、上京してきた女性が水商売に手を染め、そこから成り上がろうとするのだけれども、街のにおいになじんでいくさまを歌った切ない楽曲です。それは新宿歌舞伎町のある一面を見事に切り取っていたといえるでしょう。平成の世の中にあって、なお昭和のにおいのする風景といえるかもしれません。

御徒町だった?

ですが、この曲が発売された当初、椎名林檎は歌舞伎町に住んでいませんでした。つまり、「歌舞伎町の女王」は、まったくのイメージで作られた音楽だったのです。昔の映画や歌謡曲のイメージをふんだんにまとっているのはそのためだったといえるでしょう。当時、椎名林檎が住んでいたのは歌舞伎町ではなく御徒町だったそうです。御徒町といえば、上野駅の隣駅であり、ガード下にはアメ横商店街が広がっています。うらぶれた飲み屋や飲食店なども多く広がっています。「歌舞伎町の女王」のイメージは、新宿ではなく御徒町の裏町をモチーフとして作られたといってもいいでしょう。

東京の総体?

1999年の2月に、椎名林檎は「歌舞伎町の女王」を含む、アルバム「無罪モラトリアム」を発売します。そこには、安月給のOLの悲哀を歌った「丸ノ内サディスティック」なども収録されています。新宿であり丸ノ内であり、そこにあるものは東京という存在だったのかもしれません。

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