吉本興業の東京進出はいつ?

現在、テレビで関西弁のお笑い芸人を見ない日はありません。そのほとんどが大手芸能事務所である吉本興業の所属です。しかし、かつてはこれほど関西芸人が東京の放送局に出ていることはありませんでした。ここ20年ほどの現象であると言えます。


タームは94年

吉本興業は戦前にも東京や横浜に劇場を持っていました。しかし、本格的な東京進出は94年にオープンした銀座七丁目劇場、翌95年にオープンした渋谷公園通り劇場があげられるでしょう。

銀座七丁目劇場では東京進出直後のナインティナインを起用し、毎日平日夕方に生放送をする「銀ブラ天国」、渋谷では今田耕司を司会に起用した「今田耕司のシブヤ系うらりんご」が放送されていました。

これは関西でダウンタウンが毎日生放送をしていた「4時ですよーだ」を意識した番組構成であると言えるでしょう。ダウンタウンの東京進出も、劇場オープンに先駆けた80年代末から行われています。

学校も創設

さらに、芸人養成スクールともいえるNSCの東京校の第一期生も1995年に誕生します。何百人もいた中から残っているのは品川庄司一組だけという厳しい世界であることも知られています。

タレントや学校創設だけでなく、番組制作も吉本興業は手がけるようになります。番組を作る地盤を固め、そこに出演するタレント、芸人を確保し、さらに学校で新人養成をてがけ、新人を鍛える場所として劇場を用意する。吉本興業はすべての場所をそろえて東京へやってきたと言えるでしょう。

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