外国人が見た「電波少年」

90年代を代表するバラエティ番組といえば「進め!電波少年」でしょう。当初は、国内でアポなしロケを単発で次々と展開する番組でしたが、95年に猿岩石によって行われたユーラシア大陸横断ヒッチハイク以降は、連続した企画となります。企画にチャレンジする者たちは若手芸人だけでなく、新人俳優や新人女優、あるいはやることがないが何かを成し遂げたい若者といった者たちが登場しました。


香港出身のチューヤン

電波少年の企画で印象深いのが、アフリカ・ヨーロッパ大陸縦断ヒッチハイクでしょう。これは猿岩石のユーラシア大陸横断ヒッチハイク、ドロンズの南北アメリカ大陸縦断ヒッチハイクに続く、ヒッチハイクものの完結編として企画されました。この企画が新しかったのがチャレンジャーが若手芸人ではなく、日本人の新人俳優であった伊藤高史と、香港出身のDJであったチューヤンという異色の取り合わせであったことです。チューヤンは英語は喋れるものの、日本語はまったくできず、2人はまったくの初対面でした。中国語で友人を意味する「パンヤオ」というコンビ名でヒッチハイクにチャレンジすることになります。

いくらもらえる?

この企画はチューヤンの出身地である香港でも放送されました。その際に、現地の人たちの反応は「チューヤンはチャレンジを成功するといくらもらえるのだ?」といったものであったようです。常にお金で動く、香港人らしい気質が現れていると言えるでしょう。国が変われば受け取り方も違うのだと知らされるエピソードです。

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