大正生まれの小説家が、現代の日本のコミュニケーション力に渇を入れる!

日々進化を続けるメールやインターネットに代表される電子伝達の手段。日本人の生活はますます便利になってきています。しかし、物質文明の進歩は必ずしも人間を進歩させるものではないのではないか。そんな疑問を抱きつつ、原稿用紙に手書きというスタイルを貫く、大正生まれの作者による痛快エッセイ「お徳用愛子の詰め合わせ」を紹介します。


■忍耐と諦めを日本の美徳とした時代に育つ

作家仲間からも「怒りの愛子」として恐れられた彼女は、戦争、夫がつくった借金の返済、そして離婚と、がむしゃらに大正から昭和、そして平成へと各時代を生き抜きます。どんな苦境にあっても、「こうなったのは自分の性で仕方がない、苦労を嘆いている暇に前進すべし」と言う彼女は、まさに日本古来の美徳である「忍耐」と「諦め」を実践しているのです。
 

■現代日本人の表現力を嘆く

「感動した」は安易に使われているが、一体どういう風に感動したのか。「勇気をもらった」というが、勇気はそんなに簡単にもらえるものなのか……表現力が欠如した現代人は、語彙までも少なくなってしまったと嘆く愛子氏。「言葉の乱れ」という曖昧な表現をせず、語彙の少なさや表現力の磨耗、言葉の正確性の喪失、という表現をするのは、言葉の大切さを知る小説家ならではといえるでしょう。
 

■手紙に文章や言葉の上手さは必要ない

メールをやめて手紙を書こうとはよく耳にしますが、愛子氏もワープロの文やメールを嫌うひとりです。「字が汚くてもかまわない。「文体」や「上手さ」は必要ない、気持ちが伝わりさえすれば下手でもいい」、という言葉は悪筆な人に勇気を与える言葉かもしれません。
 
時代には逆らわないが、流されもしない。現代を嘆くがむやみやたらと懐古したりもしない。そんな彼女が放つ現代人への嘆きの言葉に気づかされることも多々あるはず。たまには自分と違った世代の人の言葉に耳を傾けてみませんか。
 

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