いまや嫉妬の対象でなくなった日本の父親。エディソン・コンプレックスとは

いまや嫉妬の対象でなくなった日本の父親。その理由は、エディソン・コンプレックスが原因と考えられています。


エディソン・コンプレックスとあ

男が男に向ける嫉妬の典型としてすぐに浮かぶのは、息子が父親に向ける嫉妬でしょう。これについては、フロイトの唱えたエディプスコンプレックスという言葉で説明することができます。男の子にとって、もっとも身近な女性は母親です。男の子は母親に愛着を持っていて、「お母さんと結婚したい」という子も少なくありません。

ところが「お母さんと結婚したい」と思ったとき、邪魔なのは父親の存在です。そこで子どもは、父親を亡きものにすれば母親を独占できると考えるのですが、現実には叶わない望みです。倒すには、父親は強すぎるからです。これがエディプス・コンプレックスです。

そこで男の子がつぎに考えるのは、「自分が父親のようになれば、お母さんのような女性と結婚できる」というものです。そして父親のようになるため、さまざまな能力を身につけようとする。これが、男の子から男になるための図式であるというのがフロイトの考えです。たしかにこの図式は、少し前の日本では通用したものだったでしょう。子どもが駄々をこねたら、平気で子どもを殴るような父親のいる家庭なら、ありえる話です。

しかしいまの日本は、そうはなっていません。いまの日本の家庭には、父親が不在だからです。もちろんいることはいますが、その存在はきわめて薄いものになっています。とくに問題なのは夫婦関係で、長年連れ添ってきた結果、共同経営者のような関係になっています。人生という荒波を一緒に乗り切る仲間といった感覚で、そうなるとたとえ男女の関係があったとしても、恋人時代のような甘い感情は入りにくくなります。

そんな夫婦関係のもとで夫は妻に対して母親のような感情を持つようになります。男と女の関係から疑似親子の関係になる過程で、夫は妻の「長男」のような存在になってしまいます。夫が長男の座に居座ってしまった現在の日本家庭では、家庭内における男性同士の嫉妬は、むしろ長男と次男の間の葛藤のようになってしまいます。この一家における本当の息子は、次男の役割にされてしまいます。

この疑似次男が疑似長男(父親) に抱く感情は、フロイトの考えるエディプス・コンプレックスとは違います。フロイトの図式では、母親のような女性と結婚するために息子は父親からいろいろな能力を学ぼうとしますが、兄は父親ほど強大な存在ではありません。せいぜいが、昔でいうガキ大将程度でしょう。

その結果、弟の兄に対する嫉妬は、いろいろなことを学習して、大人になる準備をするという方向には向けられません。ここに、嫉妬の対象であるはずの父親を失った現代の男の子のむずかしさがあるといえるでしょう。

日本の家庭は、いつまで経っても大人になれないピーターバンのような男性を増やしているともいえるのです。

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