「花子とアン」が語る、子どもの教育

2014年3月から始まったNHKの朝ドラ「花子とアン」の主人公、安東はなの家庭は貧しい小作農家でした。しかし東京の女子校で教育を受けるようになると、英語好きな少女に成長しました。


英語教育に触れて、翻訳家の道へ

村岡花子さんは『赤毛のアン』を最初に日本語訳した翻訳家です。ドラマ「花子とアン」は村岡花子さんの生涯を元に制作されているドラマです。村岡さんは東京・六本木にある東洋英和女学院に入学し、英語教育に触れる中で翻訳家への道を歩むことになりました。学校で生きた英語を学んでいくうちに、本人の素質が開花したのです。

教育の機会平等を訴えた花子の父

東洋英和女学院はミッション系スクールで、通う生徒のほとんどは裕福な子女でしたが、村岡花子さんの実家は山梨県・甲府の農家で、本来なら到底入学などできる状況ではありませんでした。しかし、村岡さんの父親・逸平は村岡花子さんの利発さに期待をかけたのです。教育の機会平等を訴え、ついに学費を免除される給費生として編入を実現させました。入学は明治36年のことです。

給費生は学費が免除されますが、クリスチャンであることが条件で、在学中は孤児院での奉仕活動が義務づけられていました。そして、成績が悪ければ退学となります。非常に厳しい条件でしたが、村岡さんはこれらをクリアして卒業することができました。

児童文学に貢献した村岡花子

東洋英和女学院高等科を卒業後、英語教師や出版社勤務を経て、村岡さんは児童文学の翻訳家としてモンゴメリの『赤毛のアン』やマーク・トゥエインの『王子と乞食』を翻訳し、世に出します。1960年には児童文学に対する貢献を評価されて、藍綬褒章を受けました。

村岡さんが訳した本にはほかに『ふしぎな国のアリス』『ジャックと豆の木』『あしながおじさん』などがあります。誰もが一度は読んだり、目にしたことのあるタイトルばかりですね。

子どもに等しく教育をうけさせることの大切さ

『赤毛のアン』の原書を手にしたのは大戦前で、ドラマの第一話にもあったとおり、東京に空襲があったときには原書を抱えて避難したそうです。村岡さんの父親が教育を受けさせることを諦めていたら、『赤毛のアン』をはじめとする海外の名作が読めるまでに、さらなる年月がかかっていたかもしれません。

最近も、親の資力が子どもの学力に比例するという調査結果が出ています。子どもに等しく教育を受けさせることの大切さも感じられる逸話ですね。

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