「中華そば」から「ラーメン」になるまでの歴史

ラーメンは中国の麺料理から派生したものですが、明治初頭に横浜や函館に伝わってから、すでに100年以上の歳月が過ぎています。その間、さまざまなアレンジが加えられるうちに、いまでは完全に原型を失って日本独自のスタイルとなりました。今回はラーメンの歴史を紹介します。


■「中華そば」から「ラーメン」ヘ

中国には、麺生地を金属片でそぎ落としながら茹で湯に放り落とす「刀削麺(とうしょうめん)」や、麺生地を二本の棒に巻きつけて引っ張って伸ばしていく「索麺(さくめん)」など多様な麺があります。そのうち、日本のラーメンの原型となったのは、麺生地を延ばして何層かに折り畳み、包丁で麺状に切る「桿麺(かんめん)」と、麺生地を手で引っ張りながら伸ばして麺状にする「拉麺(らーめん)」です。日本では全国にラーメンが広まった時期と製麺機が普及した時期が近かったため、麺を手打ちできる職人があまり育たず、機械製麺が一般的となりました。スープも横浜や函館に伝わった当初は、豚や鶏のダシに塩を加えた程度のシンプルなもの。それが、蕎麦やうどんの応用で醤油が使われたり、煮干しやカツオ節などの魚介系乾物が加えられたりと、急速に日本流のアレンジが進んだのです。

■「中華そば」と「ラーメン」の違い

では、「中華そば」と「ラーメン」はどう違うのでしょうか?これは時代とともに呼び方が変わっただけで、料理として区別しているわけではありません。明治初頭に横浜の南京町や函館で売られていたころは「南京そば」と呼ばれていましたが、日本での中国の呼称が変わるとともに「南京そば→支那そば→中華そば」と変遷していきました。

■塩ラーメンから醤油ラーメンヘ

日本に伝わった当初は塩味だったラーメンですが、客が華僑だけでなく日本人にも広がると、日本人の口に合うようにと醤油で味付けする店が増えていきました。最初に醤油味ラーメンを作ったのは、明治43年に東京の浅草で創業した「来々軒」と言われています。「来々軒」の創業者・尾崎貫一さんは横浜税関の役人で、退職後に現在の浅草六区・すしや横丁付近に中華料理店を出店しました。尾崎さんは横浜南京町の中国料理に親しんでいたため、横浜南京町の中国人コック(主に広東人) を集め、日本人好みの麺料理を試作しました。その結果生まれたのが、鶏が多めで豚の少ない従来のスープではなく、豚骨が多めで鶏ガラが少ないスープでした。同時に、関東人好みの濃口醤油の味にすることで、獣臭を抑え、蕎麦やうどんに近づけ、まだ中華料理や肉食に慣れていない人でも食べられるように改良したのです。このとき、すでに具材として刻みネギ、チャーシュー、メンマが採用されていたと言われ、いわゆる「東京ラーメン」の原型になったと考えられます。

ラーメンの歴史をもっと知りたい人には、ラーメン評論家石神秀幸さんの「ラーメンの真髄」を読んでみてはいかがでしょうか?

次の記事

「札幌といえば味噌ラーメン!味噌ラーメン誕生の秘密」

参考本

「ラーメンの真髄(石神秀幸)」

    
コメント