延命治療の問題点。危篤状態における「フルコースの延命治療」

病院医師にとって、患者さんの死は敗北にほかなりません。だからわずかな可能性、たとえ治癒する確率が1%であっても、手術や抗がん剤治療に挑戦したりします。患者さんから、

「咳が止まらない」
「おなかが痛い」
「胃がもたれる」

と言われたら、「それは年のせいですよ」とは言えません。お年寄りの身体にストレスを与える数々の検査をし、入院、手術、術後の治療と進んでいきます。食事がとれなくなった患者さんには、鎖骨や太ももの静脈に点滴を刺して、高カロリー輸液をします。

治る見込みがなくなったとしても、死の瞬間を先延ばしにするために、点滴をしたり、酸素吸入をしたりします。しかし、危篤状態における「フルコースの延命治療」は本当に、自分が迎えたい最後なのでしょうか? 延命治療の現状を「穏やかな死に医療はいらない(著:萬田緑平)」より紹介します。


死ぬまで続く延命治療

延命治療には、病気がもはや不治かつ末期状態の患者さんに対して、本人の意思を確認できないままチューブだらけにして、ずるずると亡くなるまで続けられる治療になるケースもあります。

延命治療をされた患者さんは、むくみで手足をパンパンにさせ、歩くことも、自力でトイレに行くこともかなわずに息を引き取っていきます。病室には重苦しい空気が立ちこめ、医師や看護師は敗北感を抱き、駆けつけたご家族は疲れと後悔をにじませています。

病院は穏やかに死ぬことができない理由

病院は「病気を治す場所」であり、病院医師は病気を治すことを第一に考えているからです。もちろん、治る病気は治したほうがいいのです。でも、人は誰しも死ぬことが運命づけられています。特別な病気がなくとも、年を取れば人は亡くなります。

年を取れば病気になるのがふつうです。でも病院医師には、「老衰死」「自然死」という発想がありません。死にそうな人を見ると、何かしらの治療をせずにはいられないのです。

危篤状態における「フルコースの延命治療」

日本人の8割は病院で亡くなるといわれています。そして、病院でなされる終末期医療のゴールは、危篤状態における「フルコースの延命治療」です。

呼吸状態が悪化して息が止まりそうになると人工呼吸。口からチューブを入れる気管内挿管。さらに呼吸が悪化してくれば、気管切開をして酸素を送り、血圧が下がって心臓の動きが止まりそうになったら、昇圧剤(強心剤)を点滴します。今ではさすがにそこまでする病院は少なくなりましたが、二十年前は当たり前のように行われていました。

そのままでは数日もたないような患者さんでも、こうした延命処置をすれば半日から1日、長い方なら1週間くらい余命を長引かせることができます。しかしそれは単に「息を止めさせない」「心臓の動きを止めさせない」というだけです。

ほとんどの患者さんには意識がありません。意識がある患者さんはみんな苦しそうでした。危篤の時間を、わざわざ長引かせているのです。

もしも、老衰で死ぬのが避けられないのであれば「フルコースの延命治療」を受けるのか、「穏やかな死」を迎えるのかどちらが幸せな最後でしょうか? 終末期医療との向き合い方を考える機会を持つことが大切と言えます。

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参考本

「穏やかな死に医療はいらない(萬田緑平)」

    
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