ターミナルケア(終末期医療)を考える。「トイレに行くこと」は生きている証しだった。

在宅緩和ケア医である萬田緑平さんの著書「穏やかな死に医療はいらない」より終末期医療の状態となった場合に考えさせられるトイレのエピソードを紹介します。


動けるか、動けないか

自宅で最期を迎えることを決めた患者さんに接すると 「自分の足で動けるって、本当に大切」ということがわかります。周りの人たちは栄養をとらせなきゃとか、やせないようにとか、病気を治すためならどんな治療でも…と考えてしまいますが、患者本人にとって最重要問題は、動けるか、動けないかなのです。

おむつなんかイヤ。死んだほうがまし

在宅緩和ケア医になって、萬田さんは、ようやく患者さんの気持ちが理解できるようになりました。おむつと命は引きかえにできないけれど、命の話を持ち出すくらい排泄問題は深刻だったのです。

「治療なんかどうでもいいけれど、トイレだけは譲れない」

病院では終末期で寝たきりの患者さんがトイレに行きたいと思っても、動くと体力を消耗すると言われておむつにされます。よろよろだけど介助があればなんとか歩ける患者さんでも、万が一転んで骨折などされたら危険だし、病院の責任も問われてしまいます。どうしてもおむつはイヤだと言うと、ポータブルトイレが準備されます。

しかし、患者さんの感覚からすれば「あんなのはトイレじゃない」。同室の患者さんがいれば、カーテン越しに音が漏れ、臭いが漏れ、情けなさや申し訳なさ、みじめさが混ざりいたたまれない気持ちになるのです。

排泄は人間の尊厳に関わります。自尊心の強い人ほどおむつになってしまったときの精神的打撃は大きく、みるみる生きる気力が衰えていきます。「トイレに行きたい」は、「私は生きている!」という叫びなのかもしれません。

病院に入院している限りおむつはどうしても避ける事ができません。しかし、終末期を自宅で過ごしている患者さんで、身体がつらいからおむつにするという人はごくまれです。ほとんどの方は動けなくなるまでトイレに行こうとしますし、動けなくなっても命がけでトイレに行こうとする人もいます。ポータブルトイレも使いたがりません。

「トイレに行くこと」は生きている証しなのかもしれません。終末期医療とどう向き合うか考えさせられる本です。

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参考本

「穏やかな死に医療はいらない(萬田緑平)」

    
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