丸岡いずみがうつ病になった理由

テレビで「いずみん」と呼ばれながら、映画評論家の夫有村昆さんと元気にバラエティ番組に出ている丸岡いずみさん。バカップル夫婦として活躍しています。でも、丸岡いずみさんは2011年に実はうつ病になっていたのです。本人の体験記である「仕事休んでうつ地獄に行ってきた」より丸岡いずみさんがうつ病になった理由を紹介します。


最初のきっかけは東日本大震災

丸岡さんが、うつ病になるきっかけとなったのは、「東日本大震災」でした。報道キャスターとして凄惨な現場をリポートしているうちに、頭に発疹ができるほどのダメージを受けました。このダメージが、徐々に丸岡さんを苦しめうつ病になるきっかけとなったのです。

最後の仕事は、野田代表の誕生リポート

2011年8月29日。丸岡いずみさんは、「news every.」の放送直後にポッキンと心が折れて、うつ病になりました。

「あぁ、もう絶対ダメ! このまま東京にいたら、死んでしまうかもしれない…」

そう心に感じたそうです。1週間くらい前から、

「まったく眠れない」
「まったく食べられない」

という、人生史上最悪の信じられないような絶不調が続いていました。

どんな場所でも、眠れる。
どんな状況でも、ごはんが食べられる。

そんな自分がまさかこんなひどい状況になるなんて…すぐにかかりつけの内科を受診しました。医師からは、「自律神経失調症かもしれないですね」と言われ、睡眠薬をもらって帰ってきました。

どうしても睡眠薬が飲めない

丸岡さんは、睡眠薬がものすごく怖かったため睡眠薬が飲めず、うつ病の悪化が進んでいきました。また、

「明日も取材があるのに、薬が効きすぎてしまったらどうしよう…朝、起きられなかったら、大変なことになる」

という心配もありました。結局、一睡もできないまま、朝になれば、いつものように取材に出かけ、夕方には、当時看板キャスターを務めていた平日夕方の帯のニュース番組「news every.」に出演していました。

とにかく必死でした。底知れぬ不安と恐怖にさいなまれ、パニックに陥っていましたが、ユラユラしながらも、なんとか毎日踏ん張って過ごしていました。そんな状態だったので、リポートしている最中、いつもだったらスラスラ出てくる言葉が途切れ途切れになってしまいました。

「これはまずい」

と、プレッシャーとともに焦燥感が募ります。

「どうしよう、どうしよう、どうしよう…」

焦れば焦るほど、集中力も判断力も、いつしか気力すら失って、思考が完全にフリーズしてしまいました。ついに何を話していいのか、分からなくなってしまったのです、頭の中は真っ白。血の汗と涙が流れ出そうなほど、苦しかったそうです。

自分のことが心配で仕方ありませんでした。自分の身の上に、大変なトラブルが起きていると気づきました。それでもギリギリまで取材を続けて日本テレビに戻り、いつものように、「news every.」に出演しました。

この日、キャスターになって初めて、原稿の中に出てくる「山」や「川」などのような、小学生でも読める簡単な漢字にさえ全部ふりがなを振りました。

「何が何でも、乗り切らないとまずい。失敗は許されない」

と心の中ではそれだけを念じて、ひたすら耐え忍びました。そして、番組が終わった瞬間、とうとう踏ん張りがきかなくなったのが自分ではっきりと分かりました。

「あっ、私、一線を越えた……」

急にソワソワして落ち着かなくなりました。

「このままだと本番中にとんでもない発言をしたり、大失敗をやらかしたりして、番組に取り返しのつかない迷惑をかけてしまう。速報が飛び込んできたら、もうお手上げ。対応できない」

たまらなくなって、上司たちに打ち明けました。上司は、「丸岡は相当疲れているのだな」と感じたようで、「夏休みを前倒しで取ってもいい」と言ってくれました。夏休みの前倒しとして休んでも、せいぜい1週間。

それ以上の時間が必要なことは、丸岡さんの中ではすでにわかっていました。それでも、この場を切り抜けないといけないので、「それでは、夏休みを前倒しさせてもらいます」とだけ伝えました。翌日、トランクひとつを携えて、羽田空港へ。徳島に帰ったら、「しばらく東京には戻れないだろう」と覚悟していました。

実家の徳島へ帰省

丸岡いずみさんは、実家に帰っても、まったく眠れないし、まったく食べられない状態でした。かろうじて水やお茶をチビチビ飲むことはできました。それから、ゼリードリンクを無理矢理吸い込んでいました。もちろん、飲み込めるのは、ごく少量だけです。

ただ、両親に見守られているので、衝動的に首をつったりして自ら命を絶つ危険はないだろうと、それだけは心のどこかで安心していました。加えて、実家は田舎のため、高層ビルはないし、電車の本数も少ないから、飛び降り自殺も、飛び込み自殺もできません。東京では、

「ひとりぼっちでいたら、そのうち死んでしまうかもしれない」

と、自分のことをもうひとりの自分が俯瞰で冷静に眺めて、心配していたのです。精神科を受診したのは、徳島に帰って3、4日経ってからのことです。でも、「病院で精神疾患を治療する」という意識は皆無で、「実家でとにかく休養したい」という気持ちだけでした。

うつ病との闘病生活が始まった

上司には、「とても帰れる状態ではありません…」と、メールで報告を入れました。電話で説明する気力は残っていませんでした。それから、適応障害の診断書を会社に提出して、休暇の申請をしました。そして、うつ病との闘病生活が始まったのです。

テレビで見る丸岡さんの元気な姿の背景には、うつ病との闘いを乗り越えたからこそだったのです。リアルなうつ病の闘病は、うつ病患者だけでなくうつ病患者をサポートする人にも読んでもらいたい本です。

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参考本

「仕事休んでうつ地獄に行ってきた(丸岡いずみ)」

    
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