家庭医は地域も診る

患者本人からその家族まで診るのが家庭医の仕事。でも、それだけにとどまらないと、こさか家庭医医療クリニックの小坂文昭さんは言います。ただ診療室に座って患者を待つばかりでなく、その町一帯を回り、地域医療の底上げにも寄与する家庭医は日本各地にいるのです。それは、ひいては日本全体の地域医療の未来にも関わる仕事だと、小坂さんは強調します。


はじまりは離島から

小坂さんが家庭医を志したのは、アメリカで家庭医療の研修をしたある医師の公演を聞いたのがきっかけでした。千葉県で家庭医療の研修を受けた小坂さんは、沖縄・石垣島の病院での勤務を経て、西表島の診療所に赴任。島の西側・祖納部落を含む西部地区の住民1200人が診療対象でした。

島民との距離感に苦悩

小坂さんは当初、島の人達との距離感を感じていました。ある子供を診察した時、風邪症状と診断した小坂さんでしたが、数日経っても症状が治らず、他の処方箋を出してもらちが明かず、やむなく石垣島の病院に搬送することに。そこでの診断は肺炎でした。小坂さんとしては医師としてあるべき手順を踏んだ結果だったものの、島では「あの新任医師は肺炎を見逃した」という噂が瞬く間に広がってしまったそうです。その後、小坂さんは住民の信用を得るために、ひたすら患者を正確に診る姿勢に徹したと言います。

「医師だったの忘れてた」

小坂さんは、信用を得るために、診療だけでなく、青年会活動など地域の行事などにも積極的に参加、次第に島に馴染んでいきました。そうして赴任から2年目を迎えた正月、青年会の新年会に出ていた小坂さんは、消防団に呼ばれて席を離れ、しばらくするとある一人暮らしの老人の自宅へ来てくれとの声が。行ってみると、その老人がひっそり亡くなっていたのです。小坂さんが死亡確認をしようとすると、その場にいた人たちのこんな会話が。「なんで先生(小坂さん)を先に呼ばなかったんだ?」「あ、医師だというのを忘れてた」。すると、不謹慎ながら、小坂さんを含め妙な笑いに包まれたと言います。同時に、小坂さんは妙に嬉しくなったそうです。「よそからやってきた医師」ではなく、島の一員になっていたことを実感したのですね。

ソーシャル・キャピタルの可能性を見る

それ以降、診療はずっとやりやすくなったそうです。島の人たちから「あそこの〇〇さんが腰痛で苦しんでるらしいから、診てやってよ」などと、ちょっとした異変を教えてくれる、ということも増えたと言います。初めて訪問する家でも、鍵をかけられることなく気軽に接してくれるようになったとも。このような、相互の信頼関係・協力関係、ソーシャル・キャピタルの一面を西表島で感じたと小坂さんは言っています。

患者の顔が見える医療を目指して

現在、神戸市で診療活動に勤しむ小坂さんは、かつて見た西表島に近い形を作れないかと奮闘しています。隣の人の顔も知らないのが常識化している大都市で、患者一人ひとりの顔が見える医療を目指しているのです。その姿勢が全国に広まれば、日本の医療の明日は明るくなるかもしれません。

参考書籍:小坂文昭著「ムダな通院を減らすたった1つのこと」(BYAKUYA BIZ BOOKS刊)

筆者プロフィール
足立謙二 時事通信記者を経てフリーライターに。雑誌「昭和40年男」、ねとらぼなどエンタメ系サイトなどでサブカル、アニメ、特撮などを中心に執筆。Twitterアカウントは@adaken

    
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