読書は荒野である

読書とはどのような目的で行われるものでしょうか。ある人にとっては勉強をして新しい知識を得るためともあるでしょう。あるいは、ちょっとした余暇にファンタジー小説を読んで空想の世界にふけることもあるでしょう。書籍に記された内容においては想像力の自由がそこには吹き込まれているからです。さらに、きわめつけには読書とは荒野を開拓していく意味もあるでしょう。眼の前にある知識の膨大な壁に挑んでいく、さらには今生きている人間ばかりではなく死者との対話さえ可能な読書の快楽は確かにあるでしょう。


何を読むべきか?

見城徹による『読書という荒野』(幻冬舎)は、同社を立ち上げた著者による読書論です。これまでにない、シンプルかつ大胆な読書論がつむがれています。本書では読書とは「何が書かれているか」ではなく「自分がどう感じるか」であると記します。ただ文字の列を追うだけでは誰でもできます。もちろん読んだことを忘れてしまうのは仕方がないことです。しかし何にもならないよりは、言葉を自分の血として肉としてとらえていく必要もあるでしょう。

アツい読書論

本書は、読書を効率的にするにはどうすればいいのか、早く読んで情報をインプットしてゆくにはどうすればいいかといった既存の読書論で語られているような内容はほとんどあありません。読書は現実を戦う「武器」となるのであり、さらに読書とはこれまでにない言葉と出会う手段でもあり、自分が周囲から浮いてゆく圧倒的な異端な存在ともなりうる危険な行為だとも記しています。とても熱のある読書論だといえるでしょう。

実践者となるには

本書が最終的に問いかけているのは、読書で得た経験や知見をどのようにアウトプットしてゆくかという問いかけでしょう。最終章で示されている、認識者から実践者へというものは、読書の最終形態であるといえるでしょう。次の世代に渡す言葉をどのように自らが紡ぎ出すことができるのか。本書はすぐれた読書論であり人生論なのです。

    
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