思い出の場所を「再訪」しない選択

金子光晴という詩人がいました。彼は、戦前に、現在のマレー半島を放浪する旅に出ます。その後、先にパリに送っていた夫人を追ってヨーロッパへ向かい、2年ほどの歳月を過ごします。


戦前の海外旅行事情

金子が旅行をした当時、海外旅行にはどのように行われていたのでしょうか。当然飛行機などありません。移動は、船と汽車になります。金子光晴は東京を発ったのち、大阪を経由して長崎へ向かいます。そこから上海行きの船に乗り込みます。

さらに上海から南下を続け、シンガポールへ至ります。その後、マレー半島を北上する旅に出ます。旅の最中で、金子光晴がもっとも愛した町がバトゥバパでした。巨大な鉱山の玄関口として栄え、多くの日本人が移り住んでいた町でしたが、金子が訪れた時点で往年の繁栄をしのばせる場末の町であったようです。

金子はなぜだかこの町を気に入り、パリから戻る途中にも立ち寄っています。彼が投宿した日本人会館の建物は現在も街に残っています。

戦後は旅をせず

金子光晴は1975年、昭和50年に亡くなります。戦後30年間生きていたのですが、その間、海外へ出ることは一度もありませんでした。

晩年にアジアとヨーロッパ放浪を描いた自伝的作品「どくろ杯」「西ひがし」「ねむれ巴里」を立て続けに記します。各作品の文章はとても澄んでいます。取材と称して思い出の場所を再訪することもできたはずなのに、それをしなかったがゆえに生まれた文体とも言えるかもしれません。

思い出の場所をあえて訪れないのは1つの美学です。

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