成田空港はなぜ反対運動が続いているのか?

日本の空の玄関口といえる成田空港は建設反対運動が盛んであったことで知られます。

三里塚闘争は現在も続いています。成田空港の敷地内には反対派の農家が保持する土地や施設が点在しています。成田空港は開講から40年近くが経とうとする現在においてもいまだ未完成な空港なのです。成田空港はなぜこれほど反対運動が根強いのでしょうか?


農民の土地への愛着

成田空港の敷地は皇室の敷地であった御料牧場と、農家の土地が使われています。農家の住民たちは戦後に入植した人びとが中心でした。ゼロから土地を開墾して作り上げたので、場所に愛着があったのです。

強引な決定

さらに、空港の建設予定地は近くの富里町に内定していました。しかし根強い反対運動が巻き起こったため、急遽三里塚に決定されたという経緯もあります。住民への説明などが不十分であったのです。

富里町に内定する前にも多くの候補地がありましたが、どこでも反対運動が巻き起こりました。候補地のひとつであった霞ヶ浦では漁民が船を出して猛抗議が行われるなどしました。

その他の候補地

富里とならび有力な候補地であったのが木更津沖でした。海上空港なので騒音の問題も地上に比べれば軽減されます。しかし羽田空港と距離が近すぎるため、管理上問題があったのかまもなく候補地から消えます。木更津沖に建設されていれば、東京湾アクアラインも早期に建設されていたかもしれません。

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