成田空港の歴史を知る

成田空港に関する批判は多くのものがあります。まずは都心から遠いというものですね。京成電鉄のスカイライナーがもっとも早いアクセス手段ですが、そちらも上野駅や日暮里駅へアクセスする必要があります。JRの成田エクスプレスは遠回りです。さらに滑走路は現在は暫定滑走路とあわせて実質的に2本弱しかないため、飛行機の発着の回数などにも制限がかかっています。狭くて遠い空港ということになるのですが、なぜこのような空港ができあがってしまったのでしょうか。

歴史を知る

そのような成田空港の歴史の一端を知ることができる本としておすすめなのが福田克彦による『三里塚アンドソイル』(平原社)です。著者は新空港の建設予定地となった三里塚で繰り広げた反対闘争を記録した映画ドキュメンタリー作家小川紳介の小川プロダクションに参加し、その後も独自に現地に住んで空港の歴史を記録し続ける人物でした。本書の執筆途中に病気で倒れてしまい、残念なことに未完の書となっているのですが、重厚な記録であることには変わりありません。

空港はなぜできた?

羽田空港に代わる新空港としては、当初は三里塚の隣町にあたる富里が予定されていました。しかしながら激しい反対運動が起こったことにより、急遽三里塚に決定されるのです。この場所には皇室の御料牧場があり、さらには沖縄移民や満洲の引き上げ者が移り住んだ開拓集落がありました。こうした土地ならば政府は簡単に買収できるだろうと考えていたところがあったと言えます。成田空港の反対闘争も一枚岩ではないこともわかり、日本の住民運動、社会運動史としても貴重な本であると言えるでしょう。