京都の歴史は「盆地」にあり! 凸凹地図で「発見」できる、京都が隠し持っていた一面

京都は盆地で暑いため、夏の観光は気をつけよう。京都が海外で紹介される際にもわざわざ「basin(盆地)」と書かれるほど、京都の特徴として知られています。では、実際に京都を訪れてみて、どこまで「盆地だ」と感じることができるでしょうか。


盆地感

京都の観光地は盆地の北東に集中しているため、ガイドブックの地図でも「盆地感」は見いだせません。しかし、「盆地だから京都に都が置かれた」「1200年以上も繁栄を続けているのも盆地のおかげ」ということが、京都の地形を見るとすぐにわかるのです。

盆地の東のヘリが「東山」

先に「観光地は盆地の北東に集中している」と書きましたが、盆地の東のヘリが「東山」です。なぜ「東山」と言うかといえば、都から見て東側にあるから。実にストレートなネーミングですね。東京・名古屋方面から京都に入るにはその「東山」を越えてきます。その北東部を、鴨川をさかのぼる形で詰めるとY字に分かれ、上賀茂神社に通じる賀茂川、鞍馬や大原に通じる高野川に分かれます。実はこのふたつの川が、京都繁栄の鍵でした。絶妙な「扇状地」、つまり川から流れる土砂の堆積を作りました。だから、京都の街は北から南へと緩やかな坂道になっています。これは水はけに役立ちます。水を得る・捨てるという都市のインフラとして機能したのです。

左京ばかり宅地が密集している理由

扇状地の恩恵を受けたのは、主として北東部です。ですから左京(東側)が発展しました。明治時代の地図を見ると、左京ばかり宅地が密集していて、いささか水はけが悪い西は田んぼのマークばかりです。標高が低い南もそうです。

視線を京都盆地の南側に移すと、久御山(くみやま)ジャンクションという大きな高速道路のジャンクションがあります。その前後の高速道路は一直線になっています。今日の郊外になぜこれほどの大規模な施設を作ることができたのでしょうか。ネットの地図や、いわゆる道路地図を見ていてもまったく理解できないと思いますが、古い地形図と地形を見ると一目瞭然です。

ここはかつて、巨大な沼沢地でした。琵琶湖から流れ出た宇治川が、いったん南下した後で桃山城のすぐ南まで北上し、そこから西に向かうのですが、その氾濫原として巨椋池がありました。およそ中世からの日本の土地開発は治水の歴史でもありますが、明治以降に近代的な治水事業が始まり、昭和8(1933)年にこの巨椋池の干拓が始まりました。そして昭和16(1941)年に完成。干拓といっても埋め立てではなく、池の水を抜くものでした。その経緯が、地形に現れています。

『京都お散歩凸凹地図』では、京都の広域から各地を拡大した凸凹地図、さらに近畿圏や奈良盆地の凸凹地図を掲載しています。それぞれのエリアで、地形を感じながら観光できるようにルートも記していますが、とても凸凹地図の全てを解説しきれません。みなさんが凸凹地図を眺めることで「見えてくる」ものがあると思います。そんな発見を、ぜひお楽しみください。

『京都お散歩凸凹地図』
http://www.j-n.co.jp/books/?goods_code=978-4-408-11061-5

【対談】
今尾恵介×皆川典久×石川初 京都文化を支え続けた「賀茂川の扇状地」

【京都の歴史と地形の謎】
■古い地図から浮かび上がる近代の京都/ 巨椋池の現在
■京都盆地の「出口」大山崎が、もしふさがったら?
■京都に入る鉄道・街道ルートの変遷
■奈良盆地と平城京の関係

【エリア概要+コースガイド】
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