トキワ荘時代の漫画連載枠は?

手塚治虫、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄(のちのAとF)など多くの漫画家が集ったことで知られるトキワ荘という建物がありました。トキワ荘を頼って多くの漫画家志望の少年、青年が上京してきたことでも知られます。トキワ荘では、漫画家同士が仕事を融通しあい、締め切りに間に合わない場合には助っ人として駆り出されることもありました。まさに古き良き時代の文化的なサロンというべき場所ではないでしょうか。しかし、トキワ荘の時代と現在では、漫画を取り巻く状況は大きく変わっています。


ジャンルの細分化

現在、漫画というのはとても細かいジャンルに細分化されています。4コマ専門や、レディースコミック、猫をはじめとする動物漫画、麻雀などのギャンブル漫画などの、多くのジャンルに細分化しています。しかし、トキワ荘の時代には、こうした細分化というのはまだなされていませんでした。広く、男性向けの少年漫画、女性向けの少女漫画といったものしかありませんでした。そのため雑誌の数も限られており、連載枠というのは多くても100程度であったと言われています。それをトキワ荘へ入居している人気漫画家たちが連載枠を4つも5つも抱えている人もいたのですから、その他の枠はますます狭くなります。

現在との違い

一方で現在は、漫画雑誌の数というのは100を下りません。さらに、出版社が展開するオンラインウェブや、同人誌誌上などもあるので、漫画の連載枠というのは大量にあります。その分、誰もが知る名作といったものは生まれにくくなっています。

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