最後に空襲された都市は?

戦後70年の機会に、先の戦争を振り返る動きもあります。太平洋戦争末期は、日本中の各年が空襲を受けました。最後に空襲された都市はどこでしょうか?


熊谷空襲

日本中の都市が焼かれた空襲において、最後に空襲された都市は埼玉県の熊谷市になります。熊谷空襲が行われた日付は、1945年の8月14日の夜中といわれています。しかし、実際には、日付が変わっていたため、8月15日になります。この日に、日本はポツダム宣言を受け入れ、アメリカをはじめとする連合国に対して全面降伏を行い、お昼には玉音放送が流れます。

被害者も多い

熊谷空襲の死者は250人ですが、市役所や学校をはじめとする市内の主要な建物はほどんと焼かれてしまいました。熊谷は、市街地がコンパクトにまとまっていた都市のため、市街地の74%、さらに全戸数の40%に相当する場所が焼失するという多大な被害を生み出しました。さらに周辺地域でも空襲が行われ、木造家屋の焼失などの被害が相次ぎました。

軍都だった熊谷

熊谷はもとより、理研工業や熊谷航空工業といった軍需産業を手がける企業が存在していました。さらに、熊谷には陸軍飛行学校も存在し、軍都として知られていました。これらの軍事施設に対する単発的な攻撃は行われていたものの、市街地に対する攻撃はありませんでした。いつかは来るぞと言われていたものの、終戦の日当日であるというのは思いもしなかったのではないでしょうか。なんとも皮肉なものです。

太平洋戦争時は日本の各都市が空襲されました。その中で最後の空襲都市となったのは埼玉県の熊谷市になります。その日付は、8月14日の深夜、つまり8月15日の終戦の日、当日に行われた日本最後の空襲なのです。熊谷は狭い街であったため、市街地の74%が焼失する大きな被害をもたらしました。

「太平洋戦争でアメリカ軍が用いた「ナバホ語」とは?」の詳細を調べる

    
コメント