職業寺山修司とは?

寺山修司という人間がいました。1983年に47歳の若さで没しています。彼は、マルチに活動を続ける人間として知られていました。その姿は職業寺山修司といわれたほどです。寺山修司の多彩な職業をたどってみましょう。


はじまりは俳句

職業寺山修司の才能が開花するのは高校時代からです。彼は青森県に生まれ、高校時代までを同地で過ごしています。俳句雑誌に投稿する若き才能として注目を集めたのです。投稿雑誌は掲載されると薄謝がもらえます。それだけで生活を成り立たせることは難しいとしても高校生のお小遣いとしては十分なものでしょう。

俳句から短歌へ

さらに寺山修司は早稲田大学に入学すると短歌を読み始めます。大学時代の同級生にはのちに脚本家となる山田太一もいました。さらに寺山は短歌だけでなく、詩を書いたり、散文を書いたりと文章の人として頭角を現します。この時期、寺山は腎臓の病気で長期間の入院を余儀なくされ、時には危篤状態に陥ることもあったようです。一度死にかけたということも影響しているのでしょうか、死のイメージ、死のモチーフというのは、のちの寺山の作り出すものに一貫して出現します。

ラジオドラマの作者

この時期の寺山修司の活躍で注目すべきものはラジオドラマでしょう。今でいうならば脚本家、放送作家のような仕事もしていたのです。寺山の作り出すラジオドラマは「大人狩り」などおどろおどろしい作品が多くあります。音効効果などもしっかりと設定されているラジオドラマは多くがCD化されています。さらにラジオドラマだけでなく曲の作詞も手がけます。

職業寺山修司へ

やがて寺山修司は自らの劇団「天井桟敷」を立ち上げます。これにより劇作家、演出家としての顔も持つようになります。さらに映画を制作し、映画監督としての顔を持ち、自らの故郷を舞台とした「田園に死す」ほか意欲的な作品を作り上げます。同時に競馬愛好家として多くのエッセイを記し、競馬評論家としての顔も持つようになります。寺山修司の職業というのは実に多彩にあるということができるでしょう。

「オバマ氏、村上春樹氏も使う心を感動させる技術とは?」の詳細を調べる

    
コメント