対馬はなぜ長崎県?

玄界灘の沖合には、壱岐と対馬が並んで存在します。なかでも対馬は、対岸の韓国の釜山まではおよそ40キロの距離しかありません。そのため、釜山の花火大会が見えるほどの近さです。近年ではこの近さを利用して韓国人観光客が退去して押し寄せることでも知られています。


行政区分は長崎県

この対馬は壱岐と並んで、行政区分は長崎県となっています。立地を見ると福岡県や佐賀県の方が近いのように思われるのですが、なぜ長崎県の管轄となっているのでしょう。これには、明治時代までさかのぼる必要があります。

もともとの藩は?

現在の県の前は、各地域ごとに藩が存在していました。対馬は、対馬府中藩と呼ばれていました。この藩は対馬全域と、佐賀県の一部をおさめていました。さらに壱岐は、平戸藩という別の藩の管轄でした。こちらは現在の長崎県の一部と、壱岐全域をおさめていました。現在の佐賀県と長崎県にまたがる地域には、ほかにも島原藩や大村藩、福江藩など多くの藩が存在します。明治時代に入り廃藩置県が行われると当初は佐賀県と長崎県はひとつの県となる構想がありました。しかし、佐賀県が独立した県となったため、残る部分が長崎県となりました。そこへ壱岐、対馬、さらに五島列島をおさめていた福江藩などが加わり長崎県ができあがったのです。昔の藩がそのまま県となった例も多いのですが、長崎県の場合は事情が複雑だったのです。

「清掃時間は実質7分。新幹線の清掃会社の凄さのウラにあるビジネスモデル」の詳細を調べる

    
コメント