イケメン僧侶の話はなぜ聴きたくなるのか

どうしても気持ちが沈みがち、考えすぎてイライラしてしまう。そんな時にイケメンの僧侶が静かに心の持ち方を説いてくれるなら、つい耳を傾けてしまいますね。こんな現象を一部では「僧職系男子ブーム」と呼ぶ向きも。知性と清廉な雰囲気を感じさせる僧侶の皆さんに、癒しを求める女性が増えているそうです。


「僧職系男子」がブーム

堂々と書くのは憚られますが、男女ともに話す人の外見やバックボーンは気になってしまうのが正直なところです。「僧職系男子ブーム」の一現象として、小池龍之介さんの『考えない練習』の大ヒットが挙げられます。この本はネガティブな思考から脱出するためのヒントを与えてくれる本として30万部突破のベストセラーとなりましたが、この現象、実ははるか昔、平安時代でも普通に存在していました。

清少納言も「イケメンじゃなきゃね!」

平安時代のエッセイスト、清少納言は『枕草子』の中で僧侶の説法を聴きに行く時の話を書いていますが、彼女はこのように書いています。

『説経の講師は顔よき。講師の顔をつとまもらへたるこそ、その説く事の尊さも覚ゆれ。(中略)にくげなるは罪や得らむと覚ゆ』

つまり「説教してくれる先生(僧侶)はイケメンだからこそ、説いてる話が尊くありがたいものに感じるし、集中して聴けるというもの。不細工な坊さんの説法では仏の教えも伝われない」。とハッキリ書いています。イケメンだからこそ話が素晴らしく感じるという感覚は平安の昔から同じというわけです。

ちなみに清少納言は「若い時は平気でこんな(不謹慎な)ことを書いていたけれど、今は仏の罰が怖いから書かない」といったことも記しています。顔で相手を判断することはよろしいことではないという自覚はあるのです。

“イケメンだから”で入るのもきっとアリ!

現代の人気ある説教の講師、小池龍之介さんは東京大学出身。実父の後を継いで僧侶になった人です。山口の「正現寺」、東京の「月読寺」の住職に就きながら寺院とカフェを融合させた「iede cafe」を立ち上げ、一般向けの坐禅指導を行うなど、元々は仏教を広く伝える活動に力を注いでいる僧侶として注目されていました。こうした活動があるからこそのベストセラーだとも考えられます。

とはいえ「正直、小池さんがイケメンだから気になって」本を買ってしまったとしても、本との出会いをきっかけに癒しと心の持ち方のヒントを得られたなら、素敵なことですよね。

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