雑誌「宝島」の歴史

宝島社が発行する雑誌「宝島」が、2015年8月売りの号をもって休刊しました。「宝島」は時代を経るごとに、同じ雑誌名でありながらも、まったく違う雑誌となっていったことで知られています。


最初はサブカルチャー雑誌

「宝島」は当初サブカルチャー雑誌としてスタートします。サブカルチャーというと現在ならばアニメやゲームのことを指すのかもしれません。しかし、「宝島」が創刊された1973年の当時、サブカルチャーを指すものは、アメリカンカルチャーというべきものでした。それはファッション、ロックなどの音楽、あるいは翻訳文学、さらには反権力などのカウンターの姿勢など、文化全般を含むものであったのです。アメリカ文化を愛する、映画とミステリーの評論家であった植草甚一が、壮年になってブレイクを果たしたことでも知られています。

80年代はバブルとともに

80年代に入ると「宝島」はバンドブームにコミットします。さらに、田舎の高校生などの若者に向けて都会暮らし指南の特集を組むなど、ライフスタイルへの注目も集まります。ものを集めて消費してゆく、そのような社会背景ときちっと寄り添った雑誌であるといえるでしょう。

エロ化

さらに90年代に入ると「宝島」はヌードグラビアを掲載するようになり、エロ本となります。同時にカルチャー系の特集も組まれていました。その後、エロ本路線をやめてビジネス誌となり、最後はネットゴシップなどを扱うアングラ情報誌となりました。

「夕刊タブロイド紙はなぜ下世話なのか?」の詳細を調べる

    
コメント