捕虜交換船とは何か?

第二次世界対戦時、連合国と枢軸国の間で、捕虜交換船が運航されました。これは戦闘の開始により、現地に取り残された外交官や、留学生などの民間人をそれぞれ交換するプロジェクトでした。日本とアメリカの間では2度、日本とイギリスの間では3度捕虜交換船が運航されています。


いつ運航?

日本とアメリカの間に捕虜交換船の第一回目が運航されたのは、1942年6月のことです。太平洋戦争が開戦しておよそ半年後になります。日本側とアメリカ側からそれぞれ船が出されました。アメリカの補処交換船は、中立を宣言していたスウェーデンの船を借り上げて運航されました。すでに戦場となっていた太平洋上を通ることはできないため、捕虜の交換場所は、ポルトガル領であったアフリカのモザンビークとされました。ポルトガルも中立を宣言していたためこの場所が選ばれたのです。

ルートはどこを通る?

捕虜交換船は、日本側は横浜を出発し、香港と上海に立ち寄り、ベトナムのサイゴン(現在のホーチミン)、シンガポールを経由し、アフリカへ向かいます。各地にはアメリカ人のほかにも、連合国側のイギリス人やフランス人が含まれていました。アメリカ側はニューヨークをたち、ブラジルのリオデジャネイロを経由してアフリカへ向かいます。ブラジルをはじめ南米には多くの日系移民がいたため、立ち寄ったのです。この捕虜交換船にはアメリカに留学していた鶴見俊輔も乗船していました。翌年、第二次捕虜交換船が運航され、交換地はポルトガル領であったインドのゴアに設定されました。

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