幕末のロシア外交は何語で行っていた?

日本は江戸時代に約300年間にわたって鎖国政策を行っていました。しかし、末期になると諸外国が日本の周辺へ現れるようになります。太平洋の西の果てにある日本は、船の寄港地として重要な場所であったためです。


ロシア外交のはじまり

さらに、幕末には国境線の確定交渉も行われました。その中で1855年に結ばれたのが日露和親条約です。この条約により千島列島の国境線が確定し、現在の北方領土にあたる部分が日本領とされました。さらに樺太は、日露混在の地とされて国境線は確定されませんでした。

気になるのはこの時に使われた言語です。隣国でありながらも、これまで縁のなかった国です。日本人の中にロシア語ができる人はいません。さらにロシア人の中にも日本語ができる人はいません。

オランダ語を使用

幕末のロシアとの外交交渉に使われた言語はオランダ語でした。鎖国時代に日本が唯一貿易を行っていた国がオランダと中国でした。

そのため日本の中にはオランダ語ができる人間がいたのです。オランダ語はドイツ語と方言関係にあたり、ドイツ語とロシア語も比較的近い。ロシアの中にもオランダ語を解する者がいたのです。

条文は4ヶ国語

交渉でまとめられた内容はオランダ語とロシア語でまとめられ、さらに中国語の漢文と日本語に翻訳されました。合計で四ヶ国語で条文が記されることになったのです。

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