いつから一日三度の食事と白米食が普及したのか? 江戸時代が始まりだった?

日本人なら当たり前の一日三度の食事と白米食。しかし、意外とこの食の歴史は浅いことを知っていますか? 実は江戸時代が白米食の始まりだったのです。


一日三度の食事が普及したのも江戸時代

江戸には近郊から野菜や魚など、さまざまな食材が集まり、食卓は変化に富んでいました。とはいえ、江戸庶民は、最初から一日に三度の食事をとっていたわけではなかったのです。江戸庶民のあいだに一日三度の食事が普及したのは江戸中期、元禄年間(1688~1703)のことだったのです。

たとえば、吉宗が享保元年(1716)、八代将軍に就任したとき、徹底した倹約政策でのぞみました。みずからも質素を心がけ、衣服を木綿としたほか、食事は一日二食とし、それも一汁三菜ですませたのです。

側近の者たちが、世間と同じように一日三食をすすめても、吉宗は「身を養うには一日二食で十分。それ以上は腹の奢りだ」といってきかなかったのです。この逸話からも当時、一日三食が普及していたことがうかがえます。

一説によると、庶民が一日に三度の食事をするようになったのは、明暦三年(1657)、江戸市中の六割を灰にした明暦の大火がきっかけになったとされています。大火後、諸国から大勢の労働者が江戸に集まり、復興工事が進められましたが、工事現場では労働者たちが昼食を出しました。やがて、この習慣が江戸庶民にも広まっていったというのです。

そうした一方、江戸に米搗屋が出現したことから、米を搗いて食べるようになり、元禄ごろには白米食が普及しました。白米食だけでなく、麦飯や糅飯(米に稗などをまぜて炊いたもの)を食べる人もいました。

白米が普及すると、多くの糠が出ます。それまで食べていた米は玄米に近いもので、あまり糠は出ないため、糠は高価なものでした。しかし、糠が多量に安く出まわったため、沢庵漬など糠を使う漬物が普及しました。

ところが、その半面、「江戸わずらい」という病が急増したのです。足や膝がだるくなるし、顔がむくみ、食欲もなく、「やがては死んでしまう病だ」と、恐れる人が多かったのですが、これは糠を取り除いた白米ばかりを食べたからで、ビタミンの欠乏からくる脚気だったのです。

歴史って面白いですね。もっと江戸時代の豆知識を知りたい人は、参考本を読んでみてはいかがでしょうか? 歴史好きの人におすすめの本です。

参考本

「お江戸の素朴な大疑問(中江克己)」

    
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