江戸時代の人口は何人? なぜ江戸には女性が少なかったのか?

江戸の人口は、武士や奉公人、出稼人など諸国からの流入がつづいて増加しました。では、江戸にはどのくらいの人が住んでいたのでしょうか?


徳川家康時代の人口は15万人

徳川家康が入府したころ、江戸は小さな町にすぎず、人口もそれほど多くはありませんでした。家康が当初、ひきいた軍勢は約一万人です。その後、職人や商人、人足などがやってきたのですが、それでも数万人程度です。

江戸前期の正確な数字はわからないのですが、江戸の町づくりが進み、人口は増えていきました。マニラからメキシコへ向かう途中、日本に漂着したドン・ロドリゴの「日本見聞録」によると、慶長十九年(1614)ごろ、「江戸の人口は15万人」だったといいます。

1700年には人口約80万人

その後、寛文十二年(1672)ごろには約40万人。元禄八年(1695)には町方人口が約35万人、武家人口が約40万人、寺社人口は約5万人で、江戸の総人口は約80万人だったと考えられている。

日本ではじめての人口調査は1721年

日本ではじめて全国的な人口調査が行なわれたのは、享保六年(1721)のことですが、その結果、江戸の人口は501,394人であることがわかりました。もっとも、これは町奉行の支配地のため、武家や寺社人、出稼人などは含まれていません。

それらのすべてを加えると、江戸の人口は町方の約50万人、武家が約50万人、寺社その他が約10万人で、合計約110万人に達すると推定された。当時、ヨーロッパ第一の大都市ロンドンが約70万人、パリが約50万人、ウィーンが約25万人のため、江戸は世界最大の都市だったのです。

しかし、江戸は女性にくらべて、圧倒的に男性が多いのです。享保六年の人口調査では、町方だけだが、男性が約323,000人なのに、女性は約178,000人でしかなかったのです。おおまかにいって、女性1人にたいして男性2人弱の割合です。

こうした傾向になったのは、単身で奉公や出稼ぎにくる男性が多かったからです。これに武家人口を加えると、圧倒的に男性が多くなります。諸藩の江戸詰武士は、ほとんど単身者だし、幕臣の旗本や御家人の家臣にも単身者が多いのです。

こうして江戸は、女性の少ない町になったのです。江戸時代の日本は世界に比べても、すごい人口だったのです。

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