江戸時代に「梅見」で人気があったのはどこ?

日本では一年中、さまざまな花を楽しむことができます。1年の最初に楽しむ花見といえば「梅見」です。では、江戸時代に「梅見」で人気があったのはどこだったのでしょうか?


梅屋敷

江戸で有名なのは、隅田川沿いの寺島村梅屋敷(墨田区東向島)、蒲田村の梅屋敷(大田区蒲田)、亀戸梅屋敷(江東区亀戸)などでした。天保九年(1838)刊の「東都歳時記」にある「蒲田邑看梅」という絵を見ると、縁側で火鉢を囲む三人の男たちが満開の梅を見ながら、句作に熱中しているし、木のそばでは数人が、花を見上げています。

はるか彼方には、海上を進む帆掛け船が見えて、その対照がおもしろいです。「江戸名所図会」は蒲田の梅園について、つぎのように記しています。「この地の民家は前庭、後園ともにことごとく梅を植え、五月のころにはその実を採って江戸市中に売る。それだからこそ、二月の花盛りには奥ゆかしい匂いを求めて楽しむ人が多い」

亀戸梅屋敷で有名なのは「臥竜梅」で、江戸第一の名木と評判でした。竜が地上にとぐろを巻いたような形をしているというので、その名があるが、高さは一丈(約3メートル)くらいのもの。しかし、根元の太さは五尺余(約1.6メートル)だし、枝は四方に広がって、直径はおよそ六間(約11メートル)にも及びます。

梅の季節になると、裕福な商人や文人墨客は屋根船に乗り込み、北十間川から亀戸をめざしました。歩いてやってくる人も多いですが、人びとは床几に腰かけ、振舞われる渋茶を飲みながら梅の花を楽しみました。帰りには、評判の梅干を土産に買う人が多かったのです。

梅屋敷という地名にも納得です。

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