切腹よりも重い罰? 武士の「召放」はどんな刑罰だったのか

武士はなにか罪を犯した場合、みずから腹を切ることが多かったと思いがちですが、武士はそれほど切腹をしたわけではありません。体面を保つ意味では、切腹は武士が好む方法ですが、実際によくあったのは「召放」だったのです。


召放とは

召放とは、武士にたいする刑罰の一つで、幕府から解雇されることです。切腹というのは、本人の死によって罪が許されるし、家そのものを存続させることができました。ところが、召放は命をとられることはありませんが、幕府から解雇を通告されたため、子どもが家を継ぐということはできません。切腹より軽い罰とはいえ、子孫にとっては継ぐべき家を失い、名誉の回復もむずかしいという点で、はるかに重い罰だったのです。

これは地方の藩でも同じことである。召放までいかない軽い罰に「閉門」というのがあった。見せしめとして、表門に板を釘づけにします。閉門より重いものに「蟄居」があるが、いずれも謹慎し、外出を自由にすることができません。世間の目には、なにかへまをやらかしたのだと一目瞭然で、それまでのように堂々とした態度を取ることができなくなります。

武士にとっては、面目を失うことがなによりも辛いことだったのです。

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