大江戸八百八町の範囲は?

時代劇などで「大江戸八百八町」という言葉がよく使われます。江戸が当時、世界で有数の大都市であったのはよく知られている話です。しかしながら、果たして本当にそれだけの町数はあったのでしょうか。


言葉の例えである

大江戸八百八町というのは正確にそれだけの数があったわけではありません。当初、徳川家家康が江戸に幕府を開いた時には、まわりに何もない場所でした。そこに新たなフロンティアとして街が開かれたのです。江戸城を中心に作られた町の数はおよそ300町といわれています。この町の範囲は江戸城から二里四方とされています。1里は約4キロですから、江戸城、現在の皇居を中心におよそ8キロの範囲になりますね。現在の、千代田区や中央区などが該当します。

広がる江戸

その後、街の規模が拡大するにしたがい、周辺の都市開発が進められます。湿地帯だった赤坂や小日向などが埋め立てられ、本所深川、現在の墨田区や江東区の一部の開発もはじまります。江戸の都市開発がより東へ進んでいくことになるのです。そこで現在の上野や浅草あたりも江戸に入ります。このころには町の規模は拡大しておよそ700町となっています。

さらに広がる江戸

さらに江戸の範囲は広がっています。江戸幕府が開業して100年ほど経つと、江戸の範囲は四里四方とされます。江戸城から16キロの範囲ですね。現在の山手線の枠内はほぼ江戸となったといえるでしょう。このころには町の数は900町を越えており、八百八町以上となっていました。そして最終的には1600町を超える町が誕生したといわれていますから、八百八町の実に倍以上の数値になります。江戸が世界でも有数の大都市であったのがよくわかるエピソードでしょう。

    
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