日本史の「if」下関は日本の香港になっていた?

本州の西の端にある山口県下関市に彦島という場所があります。島といっても陸地と一番近い場所は10メートルも離れていません。宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘で知られる巌流島も近くにあります。この彦島は、香港のようになっていた可能性があるのです。


申し出られた租借

幕末の1864年に長州藩は、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの四カ国と戦闘状態に入り敗北します。この講和において、イギリスから彦島の租借話が申し出ました。

しかし、交渉に臨んだ高杉晋作は、すでに租借されていた香港の現状を知っていたので、断固として拒否しました。もし、この時期に、彦島が租借されていたならば、下関一帯が香港のようになっていた可能性もあります。

租借されていたらどうなっていたか?

1997年に香港はイギリスから中国へと返還されました。

100年もの間、大陸から切り離された香港はどうなったかといえば、中国に比して目覚ましい経済発展を遂げました。社会主義を推進する中国に対して、資本主義を推進していたためです。さらに、英語教育も普及し、香港人は英語が喋れるようになりました。

しかし、広東語は地域一帯で話される共通語でありますし、中華料理も顕在です。経済やモノよりも人民の力の方が圧倒的であったのです。

もし、彦島が租借されていたら、英語をネイティブのようにしゃべれる日本人が生まれていたのかもしれません。

「浅井長政は本当は織田信長に降伏したかった?」の詳細を調べる

    
コメント