天皇を通じてわかる日本の歴史

現在においては、日本の象徴とされる天皇。しかし、古代では日本を統治する役割でした。今回は、天皇を通じてわかる日本の歴史を紹介します。


■天皇の命が永遠でない理由

高千穂に宮を建てたニニギは、ある日、笠沙の岬でコノハナノサクヤビメという美女を見初めました。ニニギが求婚すると、父に聞いてほしいといいます。そこでヒメの父で山の神のオホヤマツミのもとに出向いたところ、オホヤマツミは天孫からの求婚に喜び、ヒメの姉も一緒に嫁がせました。姉妹が同一の人物に嫁ぐ婚姻は、結婚を家と家との結びつきと考えていた当時にあっては、珍しいことではありません。

しかし、その姉のイハナガヒメが醜女だったため、ニニギはこれを送り返してしまいます。するとオホヤマツミは慨嘆しました。というのも、ふたりの娘を送ったのには意味があったからです。オホヤマツミは、「イハナガヒメを送ったのは、天孫の命が岩のように万全にと思ったからです。コノハナノサクヤビメを送ったのは花が栄えるように栄えてほしいと願ったからです。しかし、イハナガヒメを返されたということは…」と嘆息したのです。

それ以来、ニニギの子孫である天皇に寿命が生まれてしまったのです。天つ神の子孫である天皇の命が永遠でないことを説明するための説話でしょう。ただし「日本書紀」では、追い返されたイハナガヒメがニニギを呪ったため、天皇ではなく人に寿命ができたという説も紹介されています。

■初代天皇「神武天皇」の誕生

兄を屈服させたホヲリのもとにある日、身重のトヨタマビメが出産のために訪ねてきました。そして、波打ち際に鵜の羽を屋根にした産屋を建て始めました。だが産屋が完成する前に産気づいてしまったヒメは、異郷の者は元の姿になって出産するので中を見ないようにと夫に懇願し、出産に入りました。ところが、ホヲリは約束を破り、中をのぞいてしまいます。そこでは一匹のワニ(サメ)がのた打ち回っていました。これを恥じたヒメは、「たびたび地上へと揚がってくるつもりだったが、もう二度と会うことはない」と、生んだ御子ウガヤフキアヘズを残して海へと帰っていきました。このとき、ヒメが海と陸との境の道を塞いだため、人は地上と海との間を自由に行き来できなくなったといいます。しかし、夫と子供が恋しくてたまらないトヨタマビメは妹のタマヨリビメを送り、ウガヤフキアヘズを養育させたのです。

その後、成長したウガヤフキアヘズは育ててくれたタマヨリビメを娶り、イツセ、イナヒ、ミケヌ(ミケイリ)、ワカミケヌの四人の子をもうけました。その末子ワカミケヌの別名がカムヤマトイハレビコ。のちの神武天皇です。大和周辺の荒ぶる神々を服従させたイハレビコは、大和の畝火の白檮原(橿原)宮において天下を治めることとなりました。これが、初代天皇「神武天皇」の誕生です。

■天武天皇

天武天皇は、律令法典「浄御原律令」の修定を進めさせ、「八色の姓」の制度を設けて、皇族、大臣、官人などの身分の区別を明確にしました。また、親王諸王十二階、諸臣四十八階からなる新たな冠位制を創設したため、親王たちでさえ身分の区別をつけられるようになりました。政治に関われるのは、冠位に定められた範囲内の者だけなのです。

また、寺院や仏舎を各地に建立して人心の安定を図りつつ、伊勢神宮の祭祀も行なわせ、日本固有の宗教をもないがしろにしないという姿勢を見せました。

こうして天武天皇は、日本のすべてを律令制のなかに組み込んでいきました。もはや、古代社会の氏族連合の「大王」ではありません。「天皇」という称号は、天武天皇によって用いられるようになったのです。その後千年以上も続いて現代まで至る皇室の権威は、天武天皇によって築かれたのです。

天皇を通じて日本の歴史がわかります。改めて日本史を勉強してみてはいかがでしょうか?

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