特別な家で起きた喜連川騒動

喜連川藩は所領が五千石、立場としては交代寄合(大名と同じく参勤交代をする義務がある旗本)ということで、それほど大きな存在ではないです。しかし、過去にさかのぼれば「室町幕府の将軍家である足利氏に連なる名族」ということもあって、本来大名の条件である所領一万石を満たしていないにもかかわらず大名扱いされるなど、異彩を放つ存在でもありました。もともと将軍の呼び名である「公方」で呼ばれていたこともその一部といえます。そこで起きたのが喜連川騒動です。


●三つの結末、どれが正しいのか?

事件は三代藩主・喜連川尊信の時に起こりました。これを概観すると「家中でお家騒動があり、最終的には幕府が介入してこれを鎮めた」ということになります。ところが、事件の詳しいあらましということになると幕府、喜連川藩、農民という三者の残した史料がそれぞれに食い違い、何が真実なのか見極め難くなっているのが実情なのです。

●幕府の認識、藩の資料

幕府の認識は「喜連川家の家臣・二階堂主膳と高四郎左衛門の対立が家中を二分する争いに発展したため介入。尊信の責任が大きいとこれを咎め、隠居を命じた」ということになっています。一方、喜連川藩の史料には幕府の認識に加えて「尊信が乱心したことを隠し、仮病を使って江戸へ参勤させなかったことが後に発覚。幕府に虚偽の報告をしたとして家臣らが処罰された」という話が記されています。

●農民たちの残した真実?

農民側の史料ではまったく別の背景が語られています。尊信は乱心してなどいなかった、というのです。事件の黒幕は藩の権力を握る筆頭家老・一色刑部。彼は十二歳で藩主となった尊信の後見人として活躍してきたが、尊信が成長すると意見が合わなくなってきました。この対立が発展してついには尊信を閉じ込めてしまい、幕府には「藩主が乱心したために閉じ込めました」とウソの報告をした、というのです。

●いざ、江戸へ!

ここで登場するのが元武士で当時は農民だった男たちです。彼らは喜連川家と以前から交友があり、極秘に尊信と面会、閉じ込められている事実を知ります。そして幕府にこのことを明かすべく江戸へ向かい、老中・松平信綱と面会するが、証拠がないため何もできず一度喜連川に戻っています。

しかし、彼らは尊信の忠臣たちと尊信の娘・万姫を連れて再び江戸へ赴き、老中や幕閣に訴え出て幕府が評定に動き出します。下った判決は幕府史料のものとほぼ同じだが、尊信が隠居に追い込まれるということはなかった――というのがこの物語の結末です。

どの話が真実なのか、それともすべてが偽りなのか。今となっては確かめる術もありません。

榎本秋『身につまされる江戸のお家騒動』ではこの喜連川藩・喜連川騒動のほかにも、様々なお家騒動の物語が紹介されています。興味が湧かれたらぜひご一読の程をしてみてはいかがでしょうか。

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