愚かな藩主ゆえの黒田騒動

大名家の当主には優れた自省が求められます。強大な権力があるからこそ、それを無分別に振るうわけにはいかない――この原則を破った愚かな大名のせいで起きた事件こそ、黒田騒動です。


●黒田長政の誤算

黒田長政は豊臣秀吉の「両兵衛」として知られる黒田孝高(官兵衛)の子で、自身も関ヶ原の戦いで活躍、筑前一国を与えられて福岡藩を成立させた大名です。彼は、領土を分散させて自分の息子たちにそれぞれ相続させることで、福岡藩の支藩を成立させ、黒田家による支配をより一層強固なものにしようとしていました。そんな長政にも、憂慮しなければならない事柄がありました。わがままで不行跡が目立つ嫡男・忠之のことです。長政の男子は四人いたが次男はすでに亡くなっていたため、三男の長興に五万石、四男の隆政に四万石をそれぞれ相続させて支藩をつくり、残りの領土を新たに藩主となる忠之に与えようと考えていたが、忠之の素行が問題だったのです。

●栗山大膳、立つ!

やがて長政が死に、その後を継いだ忠之は不行跡を繰り返しました。倉八十太夫という児小姓を寵愛し、彼を重役に召し上げたいがために家臣の序列を無視したり、軍縮を求める幕府の方針に逆らうように、鳳凰丸という大船を建造して足軽の数を増やしたりなど、藩主としての責任感があまりにも欠けていました。

このような事態についに動いたのが、黒田家の重臣・栗山大膳です。大膳はたびたび忠之に忠言し、その行いを改めさせようとしたものの、忠之は耳を傾けませんでした。それどころか忠之は大膳のことを疎ましく思い、遠ざけようとする始末でした。そのため大膳は、忠之が目をかけていた十太夫を隠居処分にし、主君の目を覚まさせようとしたものの、これを知った忠之が激怒。大膳に切腹を命じるまでに、二人の仲はこじれてしまったのです。

●ついに幕府へ訴える

大膳は引き下がりませんでした。そして、主家を守るために思い切った行動に出ます。なんと、「忠之が謀反を企てている」と幕府に訴えたのです。このままでは黒田家は改易の危機を迎えることになります。そうならないために、あえて騒動を起こし、その後で無実を証明することによって主家を存続させようという、なんとも危険な賭けでした。君主を守るために騒動を起こすというのは、他のお家騒動には見られない黒田騒動の特徴です。

●幕府の判断は…?

この大膳の訴えに対し、幕府は忠之の不行跡を咎めはしたものの、謀反の疑いはないという裁定を下しました。ただしお家騒動を招いた罪として忠之から領地を没収。とはいえこれは形式的なものであり、忠之はすぐに再び領土を安堵されました。そしてその後、幕府は忠之が独断で藩政を行うことに制限を加えています。

対して大膳は訴えを起こした責任を問われ、盛岡藩預かりの身となりました。しかし大膳に関しても幕府の措置は寛大で、彼の身内への処罰は禁じられました。また大膳は盛岡藩から百五十人扶持(一人扶持は一ヶ月で一斗五升)を給与されており、さらに五里四方における自由な行動も許されています。大膳はこの地で、六十二歳まで生きたと伝わっています。

榎本秋『身につまされる江戸のお家騒動』ではこの福岡藩・黒田騒動のほかにも、様々なお家騒動の物語が紹介されています。興味が湧かれたらぜひご一読の程をしてみてはいかがでしょうか。

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