大河ドラマ「八重の桜」に見る明治時代とキリスト教

1月からスタートした綾瀬はるか主演のNHK大河ドラマ「八重の桜」。初回視聴率21.4%をマークし、好調な出だしを切りました。今回は「烈婦」と呼ばれた新島八重(旧姓山本八重)の生涯を先取りしながら、幕末と明治維新の渦中にあった日本でのキリスト教の排他主義との闘いについて見てゆきましょう。


■キリシタン弾圧の歴史に幕を閉じた岩倉使節団の欧米視察

キリスト教徒(キリシタン)弾圧といえば、1638年の島原の乱を筆頭に、1867年に長崎奉行所が隠れキリシタンを一斉捕縛した「浦上四番崩れ」があります。明治維新を迎えても尚、1868年に全国に公布された「五榜の掲示」によるキリスト教禁止は継続される茨の歴史が連綿と続いたのです。しかし、1872年に岩倉使節団が欧米諸国を視察した際、諸外国の激しい抗議を直接受けました。帰国した岩倉らは、キリスト教解禁が重要な外交カードになることに気づき、1873年についにキリスト教禁止令が解かれることとなったのです。

■同志社創設者 新島襄と日本人初のキリスト教式結婚

後の同志社の創設者となる新島襄は1864年函館から密航し、渡米しました。そこで洗礼を受けてアンドーヴァー神学校で学び、キリスト教の宣教師として帰国して同志社英学校(後の同志社大学)の創設者となったのです。㐮は槇村正直に援助を求めに行った際、結婚の理想の女性像を聞かれました。㐮は「夫が東を向けと言ったら、3年も東を向いているような女性は嫌です」と即答。ややあって八重の生き様が㐮の目に留まり1875年2人は婚約。八重はプロテスタント教徒の洗礼を受けました。同じ年、同志社英学校を創設。1年後に2人は日本人として初めてプロテスタント教徒同士の婚礼をあげたのです。

■㐮の同志社大学の学生たちに「鵺」と忌み嫌われた八重

同志社英学校の学生は、新島八重のことを「鵺(ぬえ)」と呼んで批判しました。
鵺とは頭と胴体、手足と尾がそれぞれ別の生き物の姿をしている化け物の名称。
八重は着物を着ていましたが、頭にはつば広帽を被り、足にはハイヒールを履くという和洋折衷の身なりをしていたことが所以でそのように喩えられ、陰口を囁かれていました。しかし、八重自身は戊辰戦争を生き抜いた「烈婦」の名に相応しく、公然と批判されても微動だにしない肝が既に据わっていたのです。

いかがでしたか?いずれの時代も新たな文化の息吹きを吹き込まれると、排外しようとする空気の醸成は万国共通の理。それも「鎖国」政策を行っていた日本ではなおさらのことかもしれませんね。しかしそんな排他主義にも負けず、新島八重という「烈婦」と呼ばれた日本人女性が、激動の世をいかに駆け抜けたか、その生涯の全貌はあなたの目で直接見届けて下さい。

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