織田信長、窮地から尾張統一へ

織田信長の父・信秀は本流・清洲織田家の庶流かつ家臣の身でありながら尾張を席巻した英傑でしたが、一方で本家を始めとする国内の敵対勢力を一掃することがありませんでした。そのため、信長は家督を継ぐやいなや逆境に放り込まれ、しかし見事尾張統一を果たしてみせたのです。その原動力はどこにあったのでしょうか。


■大ピンチでの家督継承

信長が家督を継いだとき、彼は十九歳。荒唐無稽な言動で「大うつけ」(愚か者のこと)と呼ばれ、悪名が高かったこともあり、父に従っていた有力国人たちが次々と離れ、勢力の弱体化を招いてしまいました。兄弟や近親者たちも信長の支えとは言いがたく、彼らにいつでも家督の座を狙われていました。

内情の不安定さに加え、信長には、外にも敵が多かったのです。周辺の実力者である今川氏を始め、尾張国内にて信長と敵対する清洲・岩倉の両織田家など、信長の周囲は敵ばかり。それゆえ彼は、戦い、勝たねば生き残ることができなかった状況でした。そして信長はそれをやり遂げます。織田一族と戦い、外敵と戦い、弟をも倒して、八年で尾張国内をほぼ手中に収めることに成功しました。

■なぜ勝てたのか?

内外に敵が存在した窮地からのスタートだったにも関わらず、信長が数々の戦に勝利し、生き延びることができたのはなぜでしょうか。そこには、既存の価値観・常識に縛られず、冷静に状況を判断、常に準備を怠らなかった信長の用意周到さがありました。

■子飼いの部下を鍛える

信長はまず弱体化した軍勢の強化に力を注ぎました。武家の二男・三男といった家に縛られていない青年たちや、戦のときのみ兵士として駆り出されていた農村に暮らす者たちのなかからめぼしい人材を選ぶと、居城である清洲城の惣構えのなかに住まわせ、常に戦いに備えさせたのです。専業兵士化させたわけですが、これは当時の兵士の在り様からいってめずらしいことでした。ここにも既存の枠組にとらわれない信長の発想を見ることができます。

■財力こそ武力の裏付け

また、信長は経済力を重視していた父・信秀同様に、自らも積極的に経済策を推進。領内の経済活動を活発化させるとともに、商業都市・津島を直轄下におき、富が信長のもとに流れ込むようにしました。そうして得た財力は、さらなる軍備の強化に使われたほか、専業化した兵士たちを養うことにも使われていたと思われます。戦が経済戦でもあることを誰よりも早く察知していたからこそと言えるでしょう。

こうして培われた武力こそ、敵に囲まれた窮地から信長を救い出し、尾張統一を成し遂げた原動力でした。

榎本秋『戦国武将 起死回生の逆転戦術』ではこの高橋紹運のエピソードのほかにも、様々な窮地からの逆転の物語が紹介されています。興味が湧かれたらぜひご一読の程を。

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