戦国時代の城はどうやって木材を確保していたのか?

大阪城、名古屋城、江戸城、姫路城など戦国時代の城は現在も観光名所として有名です。しかし、これだけの規模の城を作るときに木材はどうやって確保していたのでしょうか? 今回は、戦国時代の城はどうやって木材を確保していたのかを紹介します。


■木材確保は大切な工程だった!

まず、城の普請は、土塁や堀、石垣などの普請と同時進行で作事も進められます。御殿や櫓、門などの建造物の建築ということになりますが、その材料となる木材集めからはじまるのです。建築資材のうち、木材は、伐ってすぐ加工して組んでも、そりが出たりしてうまくいかないということもあり、かなり早い段階から乾燥させたり、水につけたりしなければならず、普請がはじまるのと同じころから計画的な伐り出しが進められています。

■戦国時代の推移と共に重視された木材確保

戦国時代前半は、もっぱら、城の要害としての役割が重視され、どちらかといえば、作事より普請の方に力が入れられる傾向であったが、戦国も後半になると、城の建造物そのものが権威の象徴として位置づけられるようになり、単に堅牢さだけでなく、豪華さ、みる人を圧倒させる大きさが要求され、その分、作事の位置づけも大きくなっていったのです。それにともない、大量の木材が必要になりました。

■山で伐った木材が築城の現場まで運ばれる工程

1. 根伐り:立木を伐り倒す
2. 造材:木の形を整える
3. 山落とし:木材を谷へ落とす
4. 山流し:木材を川へ流す
5. 寄せ木:木材を寄せ集める
6. 大川狩り:川の上流で木材を集める
7. 網場:木材を分類して筏に組む
8. 筏乗り下り:筏を組んだ木材を築城地近くに運ぶ

これらの工程のうち、4. 流しと5. 寄せ木は「小谷狩り」ともいわれるます。谷までおろされた木材を川筋まで運ぶ作業はかなり大変で、「さで」とよばれる、ちょうど今日のベルト・コンベヤーのような形をした木製のすべり台を作って運ぶこともありました。

■木材を運んだのは農民

村々に住んでいる土豪宛に、木材の種類や本数を書きあげ、いつまでにどこに運ぶかを命じている文書が結構残っていますが、土豪や各郷村に住む村人たちの負担が相当重かったのです。農民たちは木材の運搬だけでなく、柵や塀などの簡単な作事にかりだされていまし。御殿や櫓などの大事な部分については、プロの番匠大工が担当したが、あまり技術的なことが求められないところは農民たちの夫役によって行われていたのです。

■大鋸による城革命

戦国の後半から、建造物に力をいれるようになった要因がありました。製材技術の革新です。それは、「大鋸」の出現をさす。大鋸というのは、二人がかりで引くたて引きの大きな鋸のことで、大鋸の出現以前は、大きな木に楔を打ちこみ、それを引き割る形で板を作っていました。それでは能率も悪く、また、板の筋目なども影響して、希望通りの板を得るのはむずかしかったのです。

ところが、たて引きの大型鋸の大鋸の登場で、柱や板の造作が容易になりました。大鋸が使われるようになったのは十四世紀に入ってからですが、はじめ寺社の造営に使われ、やがて築城のときにもその威力を発揮するようになったのです。

築城に携わった番匠大工は多くの場合、社寺被官大工でした。つまり、神社や寺院専属の、いってみれば抱え大工で、宮大工、寺大工だったのです。それが次第に築城工事に動員されるようになり、城大工がふえるようになりました。戦国後半に、築城工事の件数はふえ、また、巨大城郭の築造ともなるとかなりの数の番匠大工を必要とします。しかし、熟練の番匠大工は数が限られており、いきおい、熟練していない番匠たち、すなわち平大工も動員されることになりますが、そこで、大鋸が意味をもつこととなるのです。大鋸で、角材の太さ、平板の厚さなどが規格化され、大量生産が可能になったことで、熟練していない番匠たちも力を発揮できるようになったからです。木材があらかじめ一定の寸法に仕上がっていれば、仕事は早くなります。熟練の番匠大工が木材を加工し、熟練していない平大工たちがそれを組みあげていくという工程ができ、築城工事のスピード化がはかられたのである。

城の木材の確保から、大鋸による城の築城の変化を紹介しました。

戦国の城(小和田哲男)

    
コメント