ゆるキャラ「ひこにゃん」は武田武士!?

ゆるキャラとして大人気の「ひこにゃん」。「ひこにゃん」は彦根藩のゆるキャラです。彦根藩といえば、井伊家が領有した藩で、徳川系の藩です。しかし、「ひこにゃん」は武田武士だったのです。


■武田信玄以降の武田家

武田信玄の跡を継いだ武田勝頼。長篠の戦い以降も、武田勝頼は武田家を存続させていました。長篠の戦いの後に、岩村城、二俣城は失いましたが、武田家滅亡まで8年かかりました。1578年には上杉謙信が死に、上杉家の跡目争いで上野や北信を譲られ、石高では信玄全盛期を超えるほどの大成功を収めました。その1年後、家康の嫡男・信康が勝頼に通じているとされ、家康に切腹を命じられた信康事件は、武田側からの調略活動のためで、徳川家に大きな打撃を与えたのです。

■武田家を守る力はまだあった

武田勝頼は織田・徳川領に攻め込む力はありませんが、勢力範囲を守る力はあったのです。それが崩れるのは、勝頼の義弟である木曾義昌が、新府城(韮崎市)造営の賦役増大などに耐えかね、裏切るのを待つしかなかったのです。

■徳川家による武田旧臣の重用

そして武田家は滅びたが、本能寺の変のあと徳川家康が甲信を領したことで、武田旧臣は三河や遠江出身者に比べれば位は下がりますが、江戸時代には譜代として扱われ、旗本や各藩の上士クラスで重要な地位を占めたのです。

■「ひこにゃん」は武田武士

彦根藩は甲斐から出た出身者が最も多く、彦根市のゆるキャラ「ひこにゃん」が被っている赤い兜も武田家伝来の兜なのです。また、5代将軍綱吉の側近だった柳沢吉保は武田旧臣の出身で、甲府城主に抜擢されました。こうしたことも信玄の過大評価の背景にあります。さらに、信玄の容姿もみなさんが知っている肖像画とは違います。有名な長谷川等伯作の肖像画は能登の畠山義続のものと言われており、本当の信玄は小柄な優男だったのです。

ゆるキャラ「ひこにゃん」は武田武士だったのです。戦国時代が好きな人におすすめの情報でした。

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