日本史の最大の謎。本能寺の変の「黒幕」とは

本能寺の変の「黒幕」は一体誰なのでしょうか。足利義昭、朝廷、公家、豊臣秀吉、徳川家康、明智光秀など様々な犯人の推測が行われています。しかし、本能寺の変に「黒幕」は存在しなかったのではないかという説があります。


海外遠征を計画していた織田信長

本能寺の変で織田信長を殺したのは、明智光秀です。実は、光秀と信長は水と油の関係でした。当時日本に来ていたイエズス会の宣教師は「信長は日本六十余州の征服が完了したら海外に乗り出すつもりだ」と証言しています。後に秀吉がやったことは信長の真似であり、海外遠征計画は既に信長の頭の中にあったのです。

その目的は、第一に領土を拡大し貿易国を増やすということ。もう一つの目的は「天皇家の相対化」にありました。最初に「将軍」という権威を利用して実力をつけ、それが成功したら将軍を捨てたように、日本以外の複数の国を領有することによって大帝国の帝王となります。その結果、日本という国の「君主」に過ぎない天皇を超えるのです。天皇家を滅ぼして多くの人々を敵に回すより、はるかに賢いやりかたと言えます。

光秀はそれに気が付いたのです。古典的教養主義者で、古き日本を愛する光秀にとって、許し難いことでした。しかし、正面切って反旗をひるがえすことはありませんでした。

信長に対する光秀の不信感の高まり

信長にはスキが無く、武田家を滅ぼしてますます強くなっていきます。光秀が反乱を起こしても勝ち目はないのです。また、信長は、役に立たなくなった部下は切り捨てています。信長より年上の光秀は加齢とともに、切り捨てられる恐怖におびえていたのです。さらに、信長は光秀と家老斎藤利三が築き上げてきた、四国の長宗我部元親との友好関係を、あっさりと捨てました。光秀の面子は丸つぶれです。

信長も予測できない発作的犯行

しかし、信長が少人数で本能寺に宿泊するという、まさに千載一遇のチャンスに恵まれなければ、本能寺の変という過激な行動には出なかったでしょう。本能寺の変には、様々な黒幕がいたという説があります。しかし、光秀が同じ京にいた信長の長男信忠に対し、最初は何の攻撃も仕掛けなかったことがポイントです。仮に、黒幕が秀吉だったとします。確かに信長が滅んだことによって結果的に天下を得ました。しかし、それを可能にしたのは、信長と共に長男信忠が討たれたからです。もし信忠が生き残っていたら織田政権の後継者は信忠で決まり、誰も口を挟めません。秀吉が黒幕なら光秀に必ず信忠を殺させなければならないのです。結果的に信忠も殺されたが、あの時、信忠は逃げようと思えば逃げられました。光秀は何の手配もしていなかったからです。

こう行った理由から、本能寺の変は、明智光秀の発作的犯行と考えることができます。さすがの織田信長も明智光秀の本能寺の変を「読む」ことができなかったのです。

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