命をかけて主家を救った高橋紹運

九州の名門・大友氏は、大友宗麟の代で、一五五九年(永禄二)に北九州六ヶ国と日向・伊予半国を支配し、九州では比類のない大版図を築きます。しかし、天正年間になって子の義統が家督を継ぐと、薩摩の島津義久が北へ進軍してきました。この大ピンチにおいて主家を救ったのが重臣・高橋紹運でした。


■大友氏の大ピンチ

一五七八年(天正六)、大友氏は日向高城の戦いで島津氏に大敗、さらに耳川の戦いにも敗れ、重臣を失って大打撃を被ってしまいます。このとき、島津方が「釣り野伏せ」などと呼ばれるおびき寄せ戦法をつかったことが有名です。力を失った大友氏は、一族の反乱を鎮めるのが限界で、肥前で台頭した龍造寺氏の侵入を許しました。その龍造寺氏も島津氏に敗れ、島津氏に残る敵は大友氏だけとなっていました。

■命をかけた時間稼ぎ

一五八六年(天正十四)、島津氏が肥後、日向から侵入すると、宗麟は大坂へ上り、関白・豊臣秀吉の救援を求めました。島津氏は筑後を制して筑前へ迫り、大友氏の重臣・高橋紹運が籠もる岩屋城に降伏を勧告しましたが、紹運は条件を調整して交渉を引き延ばし、時間を稼いだ挙句、結局籠城しました。

■忠臣、主家を救う

こうして戦いが始まりましたが、増援も合流した島津勢に一斉攻撃され、城兵は全員討ち死にしてしまいます。ですが島津氏も甚大な被害を出し、すぐには態勢を立て直せませんでした。大友氏の拠点である立花城を攻略できず、戦いの最中に二十万余の豊臣軍が到着。来援によって島津氏は薩摩へ撤退し、義統は秀吉から豊後一国を安堵されました。結局、立花城の前にある岩屋城に籠もった紹運の命を懸けた時間稼ぎが、主家・大友氏を救った形となったのです。まさに臣下の鑑でしょう。

榎本秋『戦国武将 起死回生の逆転戦術』ではこの高橋紹運のエピソードのほかにも、様々な窮地からの逆転の物語が紹介されています。興味が湧かれたらぜひご一読の程を。

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