人の目を引きつける政宗

政宗はとにかく派手好きな男であり、それを実現するための出費を惜しみませんでした。以下、政宗の派手エピソードとそれを支える資金源の話を紹介したいと思います。


■豪奢な建造物

政宗は豪奢な桃山建築の建造物を多く残し、また自らの居城・仙台城にも大金を投じました。仙台城の本丸は畳の部分が約四百三十畳(縁側を含む)分もあり、『千畳敷き』と呼ばれています。四百と千では随分な差があるが、それだけ豪奢な広さだということです。そして広さだけではなく細部にもこだわりがあり、格子には菊などをあしらった彫刻が刻まれています。ただでさえ多額の出費を必要とする建築物に、さらに金をかけて派手にしていたのです。

■目立つための衣装

派手といえば身なりも相当なものでした。政宗が使用していたといわれる陣羽織にはラシャ(厚地の毛織物)が使われ、金モールの縦じまがあしらわれています。挙げ句の果てに裾には赤色が入り、一度見れば二度と忘れないような陣羽織です。この陣羽織の様式は日本のものではなく、南蛮のものであります。さらに、ラシャや金モールは南蛮からの輸入品だといいいます。南蛮の風俗に関心があったらしく、南蛮人が使うマントを模倣した羽織も存在します。こちらの羽織には様々な色の水玉模様と金色の刺繍で伊達氏の紋が入れられており、日本風のデザインに仕上げています。もちろんこれらにも相当な金がかかったことでしょう。

■自作の金貨?

政宗の羽振りが良かったことを表すエピソードとして、直江兼続に金貨を投げ渡す話が伝わっています。政宗は京都滞在中に、諸大名に金貨を見せていました。その金貨を兼続に渡すと、彼は扇子を広げて、金貨を受け取りました。政宗は身分に開きがあることから、兼続が遠慮したものだと思い、手で触れるように勧めてやります。すると、兼続は自分は武士で、下賤な金貨など触れられないと答え、政宗が恥をかいたそうです。金という高価なものを簡単に扱う辺りに政宗の豊かさが溢れています。

■派手好きの資金源

建築物にしても、舶来品にしても金がかかります。それではその金はどこから出てくるのでしょうか。仙台藩が米によって大きな収益を得るまでは、鉱山の経営が支えていました。政宗は金の有用性を十分に知っていました。蘆名氏を滅ぼした時には、会津にあった金山を自分のものにしています。会津を秀吉に没収され、代わりに蒲生氏郷が領主となった時には、彼に金山を渡さないために坑道を水没させたという伝承も残っているほどなのです。この後も、没収領地の代わりに与えられた葛西・大崎で金の産出を行っていきますが、既得権益があって思うような産出は行えませんでした。よって鉱山技術や米に目を向けるようになります。

榎本秋『秀吉、家康を手玉にとった男 「東北の独眼竜」伊達政宗』ではこの派手趣味のエピソードのほかにも、伊達政宗を様々な側面から描いています。興味が湧かれたらぜひご一読の程を。

「秀吉、家康を手玉にとった男 「東北の独眼竜」伊達政宗(榎本 秋)」の詳細を調べる

    
コメント