戦国時代の知将「滝川一益」

滝川一益とは、戦国時代に織田信長に使えた戦国武将です。忍者であったとも伝えられている戦国きっての知将でした。伊勢攻略、長島一向一揆の戦いで織田信長の信頼を勝ち取りました。


伊勢攻略で北畠家の兄弟不仲を察知した滝川一益

伊勢国の大名北畠家は、南北朝以来の名門です。当時の当主は、北畠具教。無類の剣術好きでした。戦国武将の主要な武器は槍であって刀ではありません。剣術は一種の特殊能力で、江戸時代になると槍の方がすたれて、剣術の方が盛んになりましたが、戦国時代では剣の達人自体が珍しいのです。そんな時代の中、具教は、一三代将軍足利義輝と同じく名人塚原卜伝の教えを受け、奥義「一太刀」を伝授されたと伝えられています。

具教の弟が伊勢の有力国人木造家へ養子に行き、その当主となりました。これが木造具政です。しかし、北畠具教と木造具政は兄弟なのに、仲が悪かったのです。具教の息子具房に不満を抱いていたのではないかと言われています。剣術の達人であった具教に比べて、その息子具房は肥満体で馬に乗ることすら出来なかったと言われています。名門北畠家を継がせることはない、もっと別の人間がいるはずだ、と具政は思っていた可能性があります。

一益は兄弟の仲の悪いという情報をつかみました。そして、言葉巧みに説いて、具政を裏切らせることに成功したのです。北畠家からすると「家老」が裏切ったようなものです。信長は一益の報告を受けて、一気に北畠家の本拠である大河内城を大軍で取り囲みました。この戦いは万策尽きた北畠具教が降伏開城することで、一気に決着しました。具教の娘に信長の次男信雄を婿養子として迎え家督を継がせる、というのが講和の条件でした。そして、新国主となり北畠の姓を継いだ北畠信雄の家老になったのは、木造具政でした。この伊勢戦線の謀略面を全て行ったのは、一益でした。

長島一向一揆、武田討伐

一益は、伊勢国のも有力勢力であった長島一向一揆の撃滅でも大きな活躍をしました。信長は一益に大きな信頼を寄せるようになりました。そして、運命の天正一〇年、信長は年来の宿敵である武田家の討伐を行いました。その時の事実上の司令官は、一益だったのです。

本能寺の変以降

その後、本能寺の変以降、反織田であった北条との戦いで敗れ、伊勢に帰りました。賤ヶ岳の戦いでは、柴田勝家につき、あえなく秀吉に降伏。

その後佐々成政は、豊臣秀吉のもとに仕えたと言われています。

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