戦国時代の寺社は強大な支配者だった

信長といえば、「比叡山延暦寺の焼き討ち」「石山本願寺との戦争」など、仏教を迫害した存在として見られています。現在の我々の感覚からすれば、寺社というのは、葬式や法事のときに世話になる場所、多くの僧侶たちが修行している場所、というイメージしかありません。そんな寺社を焼き討ちするなんて、どんなに酷い奴だ、と思われるかもしれません。しかし、戦国時代の寺社はとにかくすごかったのです。


■信長が仏教を敵にした理由

「信長は神をも恐れぬ人間だった」、そういう解釈をされることが多いです。しかし、信長が仏教を目の敵にしたのは、「宗教を否定していたから」ではありません。当時の寺社は、現在の寺社とは異なります。当時の仏教は国の政治経済の中枢を握っている「特権階級」だったです。中世の寺社は、極端にいえば社会の中心ともいえる存在でした。だから仏教勢力は、信長の天下統一の大きな障害となっていたのです。

■寺社の桁外れの経済力

寺社は、桁外れの経済力を持っていました。室町時代から戦国時代前半にかけて、日本の富の多くは寺社が所有していたのです。戦国時代で、「日本の八大金持ち」とされたものの中に、寺社が4つも含まれていたのです。イエズス会宣教師のルイス・フロイスは、根来寺の僧のことを「彼らは富裕であり、絹の着物を着て、剣や短剣には金の飾りをしていた。髪は背の半ばまで伸ばして結んでいた」と書き記しているほどです。絹の服を着るというのは、当時としては相当な金持ちしかできないことでした。戦国時代は、絹の生産はあまり行われていなかったので、ほとんどが輸入品だったのです。また金の装飾品なども、そうそう入手できるものではありませんでした。このことからも当時の根来僧がいかに裕福だったかがわかります。

また、イエズス会の宣教師の報告書では、日蓮宗の本圀寺について「彼らの収入の多くは、檀家の寄進で、彼らはこれによって贅沢に衣食している」と述べられています。このように、中世から戦国時代の寺社は、相当な経済力を有していたのです。

現在の寺社のイメージだと、信長が寺社を敵にした理由はわかりません。しかし、寺社が国の揺るがすほどの経済力を持っていたからこそだったのです。

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