「長篠の戦い」の真実

「長篠の戦い」と聞くと、戦国最強とされた武田の騎馬軍団を、織田、徳川連合軍が打ち破り、武田軍に壊滅的な打撃を与えた合戦を多くの人が思い起こします。1575年5月21日、三河の長篠城付近で、織田、徳川連合軍と武田勝頼軍が激突しました。織田方38,000、武田方15,000という大軍団同士の正面戦争です。今回は「長篠の戦い」に隠された真実を紹介します。


■信長の最大の障害「武田」

当時の武田は、信玄なき後といえども、甲斐一国を治める大名で、勇猛果敢な騎馬軍団を組織していました。天下統一を目指す信長にとっては、最大の障害だったと言えます。この戦いに勝利したことによって、信長の戦国の覇者としての地位が決定づけられました。

■武田は鉄砲を軽視していたのか?

「長篠の戦い」は、信長の鉄砲三段打ちが行われたことで知られています。ただ信頼できる資料には信長が鉄砲の三段打ちをしたという記録はなく、どうやらこれは後世の創作の可能性があります。しかし信長がこの戦いに相当数の鉄砲を投入し、その威力によって勝利したことは事実とされています。たとえば「信長公記」には、「敵が入れ替わり立ち替わり攻めてくる中で、織田軍は一人も前に出ずに鉄砲だけで圧倒した。武田方の多数が鉄砲で撃たれて退却した」と記されています。この「長篠の戦い」は、鉄砲をいち早く取り入れた信長に対し、旧態の騎馬軍を用い続けた武田勝頼の敗北という解釈をされることが多いです。

しかし、この解釈には若干の語弊があります。武田勝頼は、何も鉄砲の威力を知らなかったわけでも、軽視したわけでもなかったのです。鉄砲はすでに幾多の戦いで用いられており、その威力を認めない戦国武将などいなかったのです。武田軍は、鉄砲を軽んじたのではなく、鉄砲を揃えようにも揃えられなかったのです。

なぜ織田軍は大量の鉄砲を揃えることができたのか?
なぜ武田軍は鉄砲を揃えることができなかったのか?

ここに実は信長の経済戦略の真骨頂が隠されているのです。信長は、武力によらず経済戦略で武田を追い詰めていったのです。

この戦いが始まる前にすでに、信長は経済で武田方を圧倒していたのです。信長は、勝つべくして勝ったといえるのです。

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