平清盛と平重盛。「悪と聖」対象的な親子

悪行を続ける父「平清盛」、聖人君主的な息子「平重盛」。「平家物語」において、平清盛と平重盛はあまりにも対照的に描かれています。例えば、殿下乗合事件という事件では摂政への報復を計画する平清盛を平重盛が諌め、鹿ヶ谷事件が発覚したときには法皇を幽閉すべきと主張する清盛を、重盛が説得しました。今回は対照的に描かれている親子のエピソードを紹介します。


■対象的な親子

平重盛と関係の深い藤原成親という人物がいました。藤原成親の妹は平重盛の夫人、娘は重盛の長男維盛の夫人という縁で、成親は大納言まで出世し、平治の乱で処罰されかけたときも命を助けてもらえました。

しかし、そんな成親が反平家運動を主導する立場に立ちました。首謀者である藤原成親は、少しずつ挙兵の準備を進めていました。1177年5月、武力を買われて参加していた多国蔵人行綱が、計画成功の見込みはないと悟り、平清盛に一部始終を密告します。もちろん清盛は激怒。平家は軍勢を整え、成親、西光法師らを捕らえました。清盛邸に引き出された西光法師は、清盛の尋問に堂々と答え、逆に清盛を

「成り上がり者」

などと罵倒しました。清盛の怒りは頂点に達し、激しい拷問を行なったすえ、口を裂いて斬首しました。当初はしらを切っていた成親も、西光法師の白状を見せつけられてどうにもならなくなりました。清盛は

「お前は本来、平治の乱のときに死罪になるはずであったのを、重盛によって助命された。それなのに、何の遺恨があって平家一門を滅ぼそうとするのか」

と責め立てました。しかし、重盛は命乞いをする成親を慰め、命を助けると約束します。そして清盛に対して

「成親を助けるのは、彼との私的な縁戚関係からではなく、世のため家のためです。厳しい刑をもってのぞめば、その悪業の報いが子孫にまでおよび、平家が滅びる原因になります」

と清盛に説いたのです。この説得により、成親は死刑は許され流罪になりました。

しかし、平清盛の怒りがおさまったわけではありません。後白河法皇こそが事件の首謀者だと見抜いていた平清盛は、後白河法皇を軟禁しようとしました。保元・平治の乱以来、常に法皇を助けてきたのに、裏切られたことに対する清盛の怒りは頂点に達しており、許すことなどできませんでした。これを知った重感は、またもや清盛邸に駆けつけ、清盛に大説教したのです。重盛は、

「日本は神国です。神の子孫である法皇が平家打倒を企てたのは、神が平家に反省を求めた警告。そもそも今回の事件が露見したのも、父上の命運が尽きていないからです。ですから法皇に忠義を尽くして、神のご加護を」

と説き、

「自分は法皇を守護するつもりです」

と言った。重盛はさらに一計を案じます。重盛は帰宅後、一大事と称して軍勢を召集したのです。すると清盛配下の武士まで重盛のもとに集まったのです。これは父清盛を牽制するための策略でした。息子が自分を攻めてくるかもしれないという状況を前にして、平清盛も折れた。こうして法皇の軟禁は取りやめとなり、平家最悪の悪行、「法皇逮捕」という事態は回避されたのです。

■それでも親子愛

こうした描写は、平家物語の作者によって誇張されている可能性が高いのですが、平清盛は何かと自分に絡んでくる息子重盛のことを憎んでいなかったのです。その証拠に、平清盛は病床に伏した平重盛のもとに宋の名医を送っています。また重盛の死後、重盛の領地が法皇に没収されると、清盛は怒りに燃えて挙兵したのです。

どれだけそりが合わなかったとしても、実の父子。見かけよりも絆は深かったのです。

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